誰かとだれかのはなし |
実家に帰ってきて一息ついて まだ片付けなきゃいけない問題はあるけど どうにか戻って来れそうな状態で
それでも安堵の息を吐けないのは 此処に居るのが誰か分からないからだ。
昔々 子供は自分に名前をつけて 違う誰かになろうとした。 名前を付けられただれかは 子供とは別の「誰か」で 違うんだ、と何度も呟いてた。
現実には同じであっても 違うものだと思ってた。
子供を保ったままで 七年、という約束を抱えて 死にたい消えたいと嘆きながら それでも「そう」出来なかっただれかは もう、いない。
継続はしてある、けど 同じものではなくて だからその名前を使っていいのか 分からない
自覚はある、から 付けられた、だれかの時から継続して在る名前を 破棄してしまえば良い、のに それが出来ない。 例え中身が変わっても、他人にとって此れは其れなのか それとも 変わったと思っているのは此れだけなのか
気が付いたら違うものに成っていた。 思考も感覚も少しずつ違っている。 それ、を まだ 「走馬真人」と呼んでいいのか 「走馬真人(」と名乗っていいのか 分からない。
確実なのは ここにいて この文を書いているのは 以前の其れとは違うということだけで。
あれだけ抱えていた 「いなくなる」ことへの不安も 「走馬真人(で無くなる」ことへの恐怖も もう、ない。
誰、なのだろう。 此れは 此処に居るのは 一体誰なのだろう 一体何なのだろう
幾つかの共通点を残すだけで あたしは彼女じゃないと思う 鉄砲水にでも遭ったかの様に その他は全部無くなってしまった
拾いにいけるか筈が無い 無くなってしまった物を 取り戻す術が分からない そもそも 「無くなった」ことは分かっても 何が無くなったのかが分からない
どうしたらいいんだろう 安定の変わりに得たこの虚無は
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2009年04月13日(月)
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