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※ネタバレ全開。未見の方は読んじゃダメですよ!!
だだっ広い屋内、床に線を引いただけ。登場人物はみな身振りだけでドアを開け、あたかもそこに壁があるように、村があるように振る舞いながら演技する三時間。
よくもまぁこんな映画を思いついたなー。感心するよ…というかほとんど降参。気分のいい話じゃないし好きか嫌いか問われたら決して好きとは言えないけれども、この独創的なアイデア+完成度は評価しないわけにはいかないです。すっかり引き込まれて三時間があっという間だった。
閉ざされた共同体に余所者が単独で接触した時のひとつのモデル、エゴを増長させ次第にエスカレートしてゆく集団心理がまず見どころで、簡素を極めたこの舞台装置に加えて、章立ての構成やナレーションを用いることにより寓話的な演出に成功しています。絵本を読んでるような、お伽噺を聞かされてるような効果。まあ、お伽噺っつうか、グリム兄弟もビックリの残酷童話ですが(笑)。 それでこの独特の構成だけでも十分見応えある出来映えなんだけど、というか、私は途中までああこういう映画なのねーとわかったつもりで見くびっていたんだけど、実は終盤、話の流れにもうひとひねりあるところが面白い。一体エゴとは何なのか。ドッグヴィルの村人達と来訪者グレースと、どちらが傲慢だったのか、あるいは両方か。これね、公式サイトの著名人コメント見ると「最後はスカッとしました!」などと言ってる方がずいぶんいらっしゃいますが、ラストの復讐で気が晴れた〜とか思った人は要注意ですよ(笑)。それじゃ監督の思うつぼ。独りよがりな自己犠牲の果てに涙を流して村に制裁を与えたグレースと、仕方がないんだ本当はやりたくないんだと言いながら荷台で彼女をレイプしたドライバーにそれほど違いがありますか? 人を赦せる、導くことができるという思い上がりもまた傲慢の一つの型である、グレースパパが指摘していたのはその点です。「権力を持つものはそれを行使する義務がある」と終盤何度か繰り返されますが、所詮それは優位に立つ側の理屈でしかない。…や、もちろん、だからといって私は村人達の非道ぶりを擁護してるわけじゃなくて、つまり結局、答えはない。このお話には答えも教訓もないんです。
で、このグレースというキャラクターを今を時めくハリウッド女優に演じさせた、そこを深読みすると痛烈なアメリカ批判ということになるのかな。アメリカ三部作の第一部だそうですね。ただ私個人的には、特定の国家の暗喩というよりは、もう少し普遍的な印象を受けたなあー。ちょっとカフカとか安部公房とかを読んだときみたいな感じ。
しかしトリアー監督って人は筋金入りの鬼畜ですね。ニコール・キッドマンが細い首にごっつい鎖を巻かれて重りを引きながらヨロヨロ歩く、見世物めいたあの姿を見た時に、こんな屈辱を絵に描いたような図をよく撮れたもんだと心底感服いたしました(ほめてます)。 そんなニコール・キッドマンは本作といい「めぐりあう時間たち」といい「ムーランルージュ」といい、トムと別れてから(笑)ほんと私好みの作品が続くなあー。今度の「コールドマウンテン」も楽しみです。
あ、あと、「ソラリス」とか「セクレタリー」で見かけたジェレミー・デイヴィス君が出ていたよ。やっぱりクネクネしていたよ(笑)。芸風なのか?
****** ドッグヴィル 【DOGVILLE】
2003年 デンマーク / 日本公開 2004年 監督:ラース・フォン・トリアー 出演:ニコール・キッドマン、ポール・ベタニー、クロエ・セヴィニー、 パトリシア・クラークソン、ステラン・スカルスガルド、ローレン・バコール (劇場鑑賞)
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