☆Everyday life☆

2003年04月07日(月) ワーホリの目的。

あたしはワーホリに来たときに

最終目的というのを作っていました。

それが、今日叶えられそうです。

今から、ちょっとどきどきしてます。




今から3年前。

初めての海外旅行が、今いるここパース。

1ヶ月のホームステイ。



そのときのホストファミリーは

27歳のお母さんに30歳のお父さん。

そして3歳と5歳の娘たち。



初めての海外、初めてのホームステイ。

そしてあたしは英語がまったく話せない・・・。


そんな状態でも、すごくこのお母さんが

あたしに親切で。

お休みの度に家族そろって

色々なところに連れて行ってくれたのです。



お父さんは日本に興味があるらしく

色々なことをあたしに尋ねてきました。

英語でうまく伝えられないから、辞書も使っての会話。

それでも熱心にあたしの話を聞いてくれていたのを

覚えています。



1ヶ月後の別れのときは本当に寂しくて

すっごく泣いたし、

日本に帰国したあとは逆ホームステイになってしまい、

1人で大阪の下宿先で泣いたのを覚えています。




その後も、しばらくは連絡が続き、

あたしのお誕生日にプレゼントを贈ってくれたりしていたのですが

あたしは、やっぱりうまく英語が話せない。

そして書けない。



手紙を書くのもままならず、

あたしから自然を連絡不通になってしまったのです。

その間にそのホストファミリーは

パースからかなり離れた街、カラッサをいう所に引っ越してしまい、

あたしに残ったものは、その引越し先の住所と

彼らとのたくさんの写真のみ。




だから、今回のワーホリでは

最後に絶対パースに戻ってきて

彼らを訪ねにカラッサに行こうって

ずっとずっと思っていたのです。

英語が少しでも上達していると思われる

ワーホリの最後のほうで手紙を送って

連絡を取り、再会するのが、あたしの目標。




そういうわけで、タスマニアにいたときに

彼らにポストカードを送ったのです。

あたしは今オーストラリアにいて

もうすぐにパースに行くから

ぜひ会いたいという内容のポストカードを。

そしてこのポストカードを受け取ったら

ぜひあたしに連絡してほしいという内容を添えて。



しかし。

それから10日経っても連絡はなし。




彼らは連絡をすれば、絶対連絡を返してくれる人達だから、

これはもう手紙届いてないとしか考えられない。

2年間は音信不通だったから

その間に、また引っ越してしまったのかも・・・。




ワーホリの最中もたくさんの家でホームステイをしましたが

彼らほどいいホームステイ先には巡り合えませんでした。

なんで連絡をあたしから絶ってしまったんだろ・・・。

とかかなり後悔。

ちょっと泣けました。




タスマニアからパースまでの約10日間。

1回もメールすら見られなかったあたし。

パースに着いて、落ち着いたところで

久しぶりにメールを見てみると

そこになんと、そのホストファミリーからの返事が!




やっぱり、あたしの思っていたとおり彼らは引っ越していました。

でもオーストラリアにも、ちゃんと住所変更届ってあるみたいで

彼らの新しい住所に、あたしのポストカードは無事に届いたのです。



しかも、彼らの新しい住所は、再びパース!

カラッサよりも断然会いやすい状況になったのです。

どうやら今年の1月に3年ぶりにパースに戻ってきてたみたいなのです。




というわけで、今日までメールを電話で連絡を取り合い

今日一緒にお食事をすることができることになりました。

みんなとの3年ぶりの再会!

もうほんとにどきどきします。



みんながどのように変わっているか

そしてそのままでいるのかが

楽しみで仕方ありません。


会ったら泣いちゃうかも☆


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