2014年09月12日(金) |
子供たち、自分の状態 |
背中にあった麻酔の管が抜け、とうとう最後の点滴が抜けた。 両腕が痣だらけ。でも、ようやくあの点滴パックを引きずりながら歩くことから解放され、背中を気にせず寝返りが打てるようになって、ほんとに久しぶりに快眠しました。一度に6時間近く寝るのって本当にしばらくぶりです。
抗生剤が出る様になり、子宮の収縮を助ける薬、熱を抑える薬、鉄剤など、毎日大量に薬を飲みつつ、いつになったらおっぱいが出る者なのなのかな…と、うんともすんとも言わない胸を見降ろす。
食事は5分粥からだんだんと通常食に戻り、産褥食と言うおやつ付のご飯になりました。相変わらずおいしくはないですけども。
旦那さんからの連絡はなく、淡々と夜になり。 ここでかんちがいしてた事が分かったのですが、もう、あの時キレたらよかった。そのほうが、後に引きずらないで良かったかもしれないなぁと今は思います。
立てるようになったのですが、結局貧血で長い距離は歩けず、車いすを押してもらって子供たちの部屋に行き、ふらふらしながら点滴の台につかまって、保育器の元へ。
子供たちね。 小さいと思ってたけど……小さいわ。 涙が出るわ。
なんでこんなに小さいんだろ。 3か月近く安静で、1か月入院して、ほんとに大事にしてたのに、育ってなかったなんて。
立っていられなくて傍に椅子を置いてもらって眺めていましたが、なんせ保育器越しなので。 だっこもできないよ(涙)
小さい手の甲に点滴を打たれて、真っ青になっている。大きくなったら記憶もなくなるだろうけど、点滴の痛さを今となっては知っている身としてはほんとに泣けてきた。
姉のほうは仰向けになれなくて、タオルの上にうつぶせになっている。そのほうが肺呼吸しやすいらしい。手の皮も足の皮も余るほど肉がなくて、子ザルは子ザルでも宇宙人のように目の切れ込みが目立つばかり。 弟のほうは何とか動いているけど、こんこんと寝ている。
泣きそうになったけど、一人ではなかったし、車いすを押してくれる看護婦さんの都合と言うものもあって、とにかく部屋に戻るしかなく。 部屋に戻ってから泣きました。
もう一度、面会時間に保育器へ行った時には、弟のほうだけおむつ替えさせてもらえましたけど。 腕とお腹に力が入らなくて、だっこできなくてそこでも泣きました。その場でじゃないけど。
そして、昨日のおばとは違う叔母がやってきて、立派な葡萄を二房おいて行ってくれました。 食べるにも、立って洗面所へ行って洗うということが必要なわけで。 ……食べられませんわ。
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