Experiences in UK
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2006年05月09日(火) |
第143週 2006.5.1-8 スペイン・アンダルシア旅行 |
4月21日から四泊五日でスペイン旅行に出かけていました。スペイン南部のアンダルシア地方と呼ばれる場所で、グラナダ、コルドバ、セビーリャの各都市を回ってきました。 4月下旬のスペインは春爛漫といった感じで、花が咲き乱れていました。天候に恵まれ、気温はずっと20度台後半から30度といった具合でした。 今回の旅行は、スペイン語が堪能(?)な妻がすべてプランニングをし、引率係も務めてくれたので、私としては荷物持ちとレンタカーのドライバーに徹したお気楽旅行でした。
(スペイン経済の基礎) スペインという国についてはよく知りません。連想されるものとしては、闘牛とかスペイン料理(タパス)とかピカソとかありますが、国としてのイメージはパッとしないというのが一般的な日本人の理解ではないでしょうか。 それではあんまりなので、経済に関する基礎情報をさらってみました(出典はユーロスタット)。
○一人当たりGDP(各年のEU25=100とした指数、2005年、括弧内は2000年) 西:98.3(92.3)、ユーロ圏:106.2(110.1)、英:115.9(112.5)、日:111.0(111.6) ←一人当たりGDPでみた生活水準はユーロ圏平均以下ながら、近年は上昇基調。
○実質経済成長率(2005年、%) 西:3.4、ユーロ圏:1.3、英:1.8、日:2.7 ←高成長が続いている(成長率は03年から3年連続3%超)。
○インフレ率(2005年、%) 西:3.4、ユーロ圏:2.2、英:2.1、日:n.a. ←高成長を映じてインフレ率も高めに推移(インフレ率は02年から4年連続3%超)。
○失業率(2005年、括弧内は2000年) 西:9.2(11.1)、ユーロ圏:8.6(8.1)、英:4.7(5.4)、日:4.4(4.7) ←失業率はユーロ圏平均を上回る(ただし、近年は持続的に低下。10年前の半分の水準)。
一言でいうと、経済が停滞気味のユーロ圏において、持続的な景気拡大を実現してきたユーロ圏内の後発国ということになるでしょうか。人口は4,300万人だそうです(英国は6,000万人)。
(スペイン歴史の基礎) 歴史に関する基礎知識としては、以下の流れでしょうか。
○8世紀〜15世紀:イスラム支配の時代(後ウマイヤ朝、ナスル朝など) ←11世紀頃から徐々にキリスト教勢力(カスティーリャ王国、アラゴン王国等)のレコンキスタ(キリスト教徒によるイスラム教徒からの国土回復運動)が始まる。
○1492年:キリスト教勢力のイスパニア王国、レコンキスタを完了 ○1492年:コロンブスが新大陸発見 ←イスパニア女王イザベラ一世のサポートによる。
○16世紀:スペイン・ハプスブルク朝時代(絶頂期)、世界の大国として大航海時代を演出 ←アステカ王国やインカ帝国を征服。スペイン王カルロス一世のサポートにより、マゼランが世界周航。
○1588年:アルマダ(スペイン無敵艦隊)がイングランドに敗北 ←これを機に退潮へ。
17世紀以降は特記事項がなく、ありていに言えば国家として衰退の時代が続き、再び浮上することはなかったということになります・・・。 現在のスペインは欧州内でも有数のカトリック国ですが、かつて約800年にわたってイスラム支配の時代があったことが、この国に独特の持ち味をもたらしているように思います(ただし、スペインではイスラム支配の時代を「空白の800年間」と称することがあるらしい)。
(グラナダ) 最初の二泊がグラナダでした。 グラナダは、イスラム色が濃厚に残る町です。13世紀にグラナダを首都とするイスラムのナスル朝が成立し、有名なアルハンブラ宮殿が建設されました。同宮殿は現在も、グラナダのみならずスペイン観光の目玉となっています。1492年にグラナダが陥落したことにより、レコンキスタが完了した(イスラム勢力がスペインから一掃された)とされています。
アルハンブラ宮殿の観光ですが、入場に関して時間帯ごとの人数制限をしています。大変な人気で当日券は朝6時から並ばないと買えないと言われていたので、事前にネットで購入していったのですが、二週間前の時点でも夜10時から11時までという一番遅い時間帯の分しか入手できませんでした。 私がホテルで子守りをしている間、妻が一人で出かけたのですが、宮殿内で意外な出会いがあったようです。途中、一人きりで夜の宮殿観光をしているもう一人のアジア人女性から声をかけられ、いっしょに宮殿内をまわり、帰りもタクシーに相乗りしてきたそうです。妻曰く、「40歳台と思うけど、話しているともっと若くて溌剌とした感じで、とても魅力的な女性だった」ということでした。相手の女性は、崔泳美(チェ・ヨンミ)という名前の韓国人で、「自分は詩人で、日本の朝日新聞からインタヴューを受けたことがある」などと言っていたそうです。 私も妻も韓国の詩人のことなどまったく知らず、その時はふ〜んという感じだったのですが、後日に調べてみると、彼女は「30歳、宴の終わり」という大ベストセラー詩集を出して韓国で一世を風靡した著名詩人だったようです。
グラナダは、コルドバやセビーリャと比べて、食べ物の値段が安くて美味しかったという印象があります。また、アルハンブラ宮殿を一望できる丘沿いにあるアルバイシン地区(イスラム時代のグラナダの中心地域であり、城塞都市として築かれたため、迷路のように細い道が入り組んでいる。世界遺産)のそぞろ歩きなど観光の楽しさを味わうという意味でも一番印象深い町でした。
(コルドバ) 三日目にレンタカーを借りてセビーリャに移動する途中、コルドバに立ち寄りました。 コルドバもイスラムと深い関係のある町です。イスラムで最も栄えたとされる後ウマイヤ朝の首都がコルドバに置かれていました。 コルドバ観光の中心は、元のイスラム・モスクであるメスキータです。メッカのモスクに次ぐという広大な建物の中に、円柱で作られた縞模様のアーチが延々と続く様子はなかなか幻想的です。レコンキスタ以降、メスキータはカトリックの教会として改装され、現在は不思議な雰囲気の教会として残されています。
(セビーリャ) 後半二泊はセビーリャでした。 スペイン第四の都市であるセビーリャは、グラナダなどと比べてもかなり大きな都市です。 セビーリャの象徴は、町の中心に位置するカテドラルとその鐘楼であるヒラルダの塔です。この大聖堂は、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次いで世界で三番目に広いそうです。また、高さが約100メートルというヒラルダの塔へは螺旋状のスロープを使ってのぼることができるのですが、ここからの町の眺めは絶景でした。
(ハッピー?・バースデー) コルドバ経由でようやくセビーリャに到着した23日、駐車場からホテルまで10分程度の道を荷物を引きずって歩いていた夕刻、それまで晴れていた空が一天俄かに掻き曇り、突然バケツをひっくり返したような豪雨に見舞われました。 ホテルまでは近かったにもかかわらず、視界数メートルというしのつく雨のため、しばらく店の軒先を借りて雨宿りをしていたのですが、これが大正解でした。というのは、しばらくすると、かつて見たことがない程に大粒のヒョウ(子供のこぶし大)がバラバラと降り注いできたからです。ロンドンでもヒョウは時折り降りますが、あんな大きなのは初見でした。子供たちは危うく、良くて頭部裂傷、悪くて頭蓋骨に支障をきたす怪我をするところでした。
ホテルに戻って、全員でシャワーを浴び、ほっと一息ついたところで小腹がすいてきたわけですが、改めて出かけるのも億劫だったので、ホテルを通じて近隣の宅配ピザを注文しました。ラージ・サイズのピザ一枚に飲物というオーダーを電話でフロントにお願いして、妻と子供たちは翌日のフラメンコ・ショーの予約を入れるため、フロントに向かいました。 部屋で私が一人で留守番をしていたところ、やがてベルが鳴り、ドアを開けると宅配ピザの店員が立っていました。
頭にヘルメットをかぶった日本のピザ配達員と変わらない格好の兄ちゃんが立っていたのですが、えらく沢山の箱を抱えている様に私はぎょっとしました。彼は、ピザの入った箱を五つと少しの飲物をこちらに突き出してきたのです。何かの間違いだと思った私は、「一枚しか注文していないはずだけど」と言ったのですが、見事に英語が通じなくて、とりあえずすべて受け取らざるを得ませんでした。向こうとしても、部屋から出てきたのが見慣れぬアジア人一人で、それが五枚もピザを注文している事態にちょっと吃驚したことでしょう。 さて、妻が部屋に戻ってから、かくかくしかじかでここに五枚のピザがあると報告したところ、彼女は血相を変えて受話器を取り、フロントにクレームを出しました。五枚も注文したら全部で約70ユーロ(1万円)という高額になるからです。しかし、話し合いが進むにつれて彼女がみるみるトーン・ダウンしていく様子がわかりました。
真相はこうでした。妻は「メニューに書いてある5番のチーズ・ピザを一枚」と注文したつもりだったのですが、フロントでは「チーズ・ピザを五枚」と解釈したようです。スペイン語が堪能?とはいっても、必ずしも完全ではなかったようで、微妙なコミュニケーションの行き違いがあったようです。 それにしても、小さい子供連れの四人家族がラージ・サイズのピザを五枚も注文するはずがないという気の回し方をしてくれなかったホテルの担当者には腹立たしい思いが残るのですが、これは言っても後の祭りでした。 仕方なく、1歳の娘を含めて四人全員で一つずつ大きなピザを目の前にむしゃむしゃと食べ始めて(それでも空いてない箱がまだ一つ残っている)、この珍妙な状況を笑い飛ばすしかありませんでした。 この日は妻の3×回目の誕生日でした。
なお、チェック・アウト後にホテルのレシートをよく見ると、ピザの代金が含まれていないことに気づきました。ホテル側のサービスとは到底思えないので、ミスだったのでしょう。我々としては結果オーライということで、本当の意味で笑い話にすることができたという次第です。
(フラメンコ・ショー) セビーリャはフラメンコの本場ということで、四日目の夜にフラメンコ観賞に出かけました。 事前情報で、フラメンコは慎重に選んだ方がいいと言われていたので、様々なアドバイスを参考にしつつ会場選びをしました。会場によってはひどいダンサーのフラメンコを見る羽目になるそうです。我々の選択はたぶん「当たり」だったと思います。 会場は、広めのレストランに舞台が設置されているという感じで、食事をとりながらショーを見ている人もおれば、我々のようにワンドリンクでフラメンコ鑑賞している人もいました。
フラメンコを見るのは初めてでしたが、迫力満点で十分に堪能することができました。踊りもさることながら、ギター演奏、手拍子・歌・かけ声(ギター奏者の横に立つおじさんとおばさんがしきりに手拍子をならしてリズムをとり、歌やかけ声で踊りを盛り上げる)のすべてに圧倒されました。男女のダンサーにギター奏者等を含めると10数名がステージに上がり、90分程度のショーでした。 うちの子供たちもお菓子をボリボリ食べながら何とか最後までもってくれました。長男はフラメンコがちょっとしたマイ・ブームになり、おもちゃのカスタネットを旅の最後までカチャカチャならしていました。
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