Experiences in UK
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2004年09月13日(月) 第57週 2004.9.6-13 英国人のブッシュ嫌い、ヒューエンドン・マナー

ロンドンは最高気温が20度を超えない日が多くなってきました。そろそろセントラル・ヒーティングの季節です。

(英国人のブッシュ嫌い)
アメリカの大統領選挙が大詰めを迎えつつあります。これに関連して9月8日付のタイムズ紙に目をひく記事が掲載されていました。米大統領選に関する英国人への世論調査結果です。
結果は、「全ての年齢層、社会階層、政治勢力の間でケリー候補(民主党)が圧倒的支持を得ている」というものでした。全体でみると、ブッシュ支持が29%、ケリー支持が52%という結果です。これは、私の実感にぴったりと合致するものです。

こちらに来て英国人と話していて少し驚いたのが、ブッシュ米大統領を蛇蝎の如く嫌悪している英国人が非常に多いということです。ある程度予想はされましたが、予想を遙かに超える不人気度合いでした。興味を覚えたので、一時期、近所のおじさん、おばさんから仕事関係の人を含めて、なるべく多くの人にブッシュ大統領について聞いてみた時期があったのですが、ほとんどの人が「論外!」といった口調でブッシュを拒絶していました。
理由については、必ずしも論理的でないもの(「論外!」ですから)や感情的なものも多かったのですが、私なりに総括すると(ごく限定されたサンプルですが)、ブッシュは言動と政治思想において著しく品性が欠けているとみなされており、そこが嫌われているように思いました。つまり、政治家として、場合によっては人間として、人格を否定されているといった感じです。政策の問題ではないのです。

必ずしもイラクで戦争を始めたから嫌いというわけではないことは、彼らがブレア首相についてはやや異なる反応を示したことからもわかります。
一般論としてブレアの人気は絶頂期と比べると地に墜ちた感があり、世論調査などで次期首相として支持しないという人も増えているのですが、私が接した人たちの中では、政策は支持できないけどブレアの立場も認めるという意見が多い印象でした。イラクでの参戦について、自らの信念を貫いて厳しい政治決断をくだした姿勢に対し勇気ある政治家と賞賛するおじさんもいました。米国に追随した格好でイラク戦争に参加した際、歴史的とも評される大演説をぶって自身の考えを熱心に説き議会を説得した姿勢について、英国の一般国民は少なからぬ評価を与えているようです。一部マスコミでは「米国のプードル犬」などと揶揄されていたブレアですが、真摯な政治姿勢への国民の支持は根強いのかもしれません。

ところで、冒頭でご紹介した世論調査結果に戻りますが、面白いのは左系の労働党支持者よりも右系の保守党支持者の方が、左系・民主党のケリー候補を支持する割合が多い点です。労働党の現ブレア政権が親ブッシュ政権とみなされているのでしょうが、ちょっと異常な感じもします。
また、ドイツやフランスの各国で実施された同種の世論調査結果も紹介されていました。大陸欧州では英国以上にケリー候補の支持率が高く、ブッシュの支持率は一桁台という殆ど無きに等しいものでした(ケリー支持の割合は、ドイツで81%、フランスで78%)。この間の国際情勢から判断すると、当然のことなのかもしれませんが。
(とここまで書いた翌9日付のFT紙に主要30か国で同様の世論調査を実施したという記事が掲載されていました。結果は、やはり一握りの国を除いてケリー圧勝というものでした。)

(プロムス・ラストナイト)
9月11日(土曜日)、2004年のBBCプロムス・ラストナイトをテレビで見ました。DVDでみた2000年版と同様、大変なお祭り騒ぎのクラシック・コンサートでした(8月16日参照)。今年は前半で「マダム・バタフライ」が演目に入っていたからなのでしょうか、着物姿の女性や日の丸を打ち振る日本人の姿がテレビで何度も映されていました。
指揮者は、ユニオンジャックをあしらった蝶ネクタイとネッカチーフを身にまとい、右の胸には赤いバラの花一輪をさして登場していました(バラの花は英国の国花)。今年も後半では、エルガーの「威風堂々」(歌詞付き)をはじめとした愛国的唱歌のオンパレードで熱狂的な盛り上がりをみせていました。
今年の野外版ラストナイト(Proms in the park)は、ロンドンのハイド・パークをはじめ、マンチェスター(イングランド中部)、スゥオンジー(ウェールズ)、ベルファスト(北アイルランド)、グラスゴー(スコットランド)の各地で行われました。ハイド・パークには四万人が集まったそうです。国家的大イベントですね。

(ヒューエンドン・マナー Hughenden Manor)
週末、例によって近隣のナショナル・トラストめぐりに出かけました。今回は、ロンドンから北西の方角に延びる高速道路M40沿いのバッキンガムシャーにある邸宅ヒューエンドン・マナー(Hughenden Manor)を訪ねました。ヴィクトリア時代末期に首相を務めたディズレーリが住んでいた邸です。
ディズレーリは、19世紀後半に保守党のリーダーとして、自由党のリーダーであるグラッドストンとしのぎを削った名宰相として知られています(当時の英国は、「保守」と「自由」の二大政党制)。政策的には植民地主義を強力に推進し、大英帝国の拡大にもっとも貢献した政治家の一人です。また、夫アルバートの死後、十年近くも喪に服してふさぎ込んでいたヴィクトリア女王を再び政治の表舞台に引っ張り出した(ヴィクトリア女王の寵愛を政治的に利用した)ことでも有名です。

ディズレーリが活躍したのは明治時代はじめ頃なので、日本でいうと例えば明治の元勲・伊藤博文の邸宅を訪ねるようなイメージになるでしょうか。邸宅とゴシック調の凝った調度品(奥方の趣味らしい)、蔵書の類がそのまま保存されていました。隣接するイングリッシュ・ガーデンや敷地内に広がる庭園、散歩道、森も当時のままきれいに整備されて残っています。近隣の牧草地や教会などの風景も、当時と大して変わっていないと思われます(変わりようがない)。変わったのは車道が整備されて車で多くの人が訪れるようになったことくらいでしょうか。ロンドンから車を飛ばして一時間もかからない場所なのですが・・・。
邸宅と敷地の維持・管理は、やはりナショナル・トラストを主体としてボランティアを中心に運営されているらしく、建物内には「ボランティア募集」の掲示がありました。「あなたも素晴らしく意義深い経験をしませんか?」という謳い文句に応じてくる人は、どんな人でどの程度の数なのでしょうか。


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