-殻-
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自分で書いた日記を、自分でよく読み返してみるんだけど。
なんとまあ、散漫なんだよなあ。 一貫性がない。 自分にできるだけ制限を付けずに、書きたいことをそのまま書き連ねるってことをまず第一の目標として始めたわけなんだけど、やっぱりバラバラだなあって思う。 自分が気に入って読ませてもらっている、他の人たちの日記はちゃんと「色」がある。 だからこそ人を惹き付けるんだろうね。 僕の書く文章に、色はあるんだろうか・・・。 なんて考えたりするけど、でも何のことはない、この「とりとめのなさ」こそが僕の色なのかも知れないな。 一応「投票ボタン」ってモノも設置してはいるけど、票が増えたからいいっていうものでもないだろうし、これって判断が難しいね。とは言いながら、やっぱりちょっとでも票が入ってると嬉しい。 カウンターを見てると、少ないながらもちゃんと回ってるから、一日に十数人くらいはこの日記を読んでくれている人がいるわけで、それだけでも十分嬉しい。更に票を入れてくれた人が数人いると、もっと嬉しい。 表現する人間の欲って不思議なもので、ただ表現し続けるだけでは満たされない。 誰かに認識されて初めて、その欲求は満たされるんだよな。 結局のところ表現欲っていうのは、誰かとつながりたい、誰かに自分を見て欲しい、誰かに自分をわかって欲しいっていう「寂しがり屋」の人恋しさなのかな。 この間の日記で触れた僕の後輩は、「表現する人間にとっての表現欲は、性欲に匹敵する」って言ってた。 それはよくわかる。とてもよくわかる。 僕はとてもわがままで、表現することに関してもわがままそのものだ。 実際、この日記も「人に読んでもらう」ことをしっかりと意識して書かれてはいない。 エンターテインメントとして成立させるなら、「受け手」を常に意識した上での作業が必要になるけど、ここでは僕はただ自分の書きたいことを書く。ある意味垂れ流しだ。 なのに、読んで欲しいと思ってる。 自分がありのままに垂れ流した自分の表現を、誰かに受け止めて欲しいと思っている。 やっぱりわがままだ。 それなのに、本当に自由にはなれていない自分にも同時に気がつく。 この中途半端さが、自分自身を苛つかせる。 でもその苛つきがまた何かを想起させて、書くことにつながったりする。 結局は僕は、常に何かを吐き出し続けて、例えそれが矛盾していても曖昧であっても、その日その時自分の深淵から紡がれる思考過程を「言葉」という手段を借りて体現していく他ないんだろうな。 ・・・だからこれからも、この「殻」はとりとめなく続いていきます。 自分にとっての「殻」の意味は、こうして書きながら構築している最中でもあります。 何かせずにはいられない、ある意味病気のようなものなんでしょうかね。 みなさんはどうですか? 書くこと、というか、「表現すること」はどういう意味を持ってますか? やっぱり病的なものを感じてるんでしょうか。 僕はそれが知りたいのです。 INDEX| PAST| NEXT | NEWEST |