懊悩煩悩
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2003年07月08日(火) ささのはさらさらも何処へやら

 連日スポーツ新聞の一面をにぎわす阪神の連勝ぶりに、期待感とほんのちょっとの不安がないまぜの日々です。たぶん今シーズンは大丈夫だと…このまま優勝してくれるだろうと…思っているのですがどうなりますことやら。これからまたボチボチと更新していきますので何卒よしなに。
 
 まあ何というか、就活が長引いているおかげで、「自分を見つめ直す」という作業を毎日じっくりと行っているような気がしますよ。ここ数ヶ月の間に、就職に対する考え方もガラリと変わったり、自分の人生の行く先を深く考え込んでみたり。あとは世の中の事象を経済や産業と結びつけて色々考察してみたり、新聞の記事も余すことなく拾い上げてみたり、とにかく何かを考えることが格段に多くなったような気がします。別にそれが格好良いとかそんなんじゃなく、ただ当たり前のことを今更やってみてるというかそんな感じですが。中でも、自分の人生の行き所ってのはドタマを捻りに捻ってそれでもまだ答えが出ない命題ですな。この年で見つけられないのは当然なのかも、という思いともう見つけちゃってる人もいるわけだし…という漠然とした焦りと。やっぱり、人生の目標を掴み取れた人は強いなとつくづく思うわけです。知人とか見てると特に。現在の(一応)安定した職を放り出して自分のやりたいことに力を注ぐってのは、昔は簡単なことだと見くびってましたがいやはやどうして、この年になるとそんな生易しいことじゃあございませんというのが身に染みてわかります。だからこそ、その人の望む通りになってほしいと願わずにはいられないわけです。たとえ回り道でも、どれだけかかったとしても。

 あとは対人関係についても色々思うところがあるわけです。ネットの発達の功罪…というとえらくしゃっちょこばった表現になりますが、要するにネットと人間関係というか。メールという(特に携帯メールなんてのはその最たるものですが)手軽なツールが出来てからというもの、人間関係が大きく変わったんではないかと。私論で申し訳ないけれど、近しい人との関係は遠ざかり、離れた人との関係を近づけるツールだなという印象を受けます。親しい間柄ゆえに、メールが来てもなかなか返事を出さなかったり、相手の時間を思いやる必要がないツールゆえに、傲慢になってしまう面は否めないのではないかと思うのですよ。例えば、こっちがクソ忙しい合間を縫ってちょっとした気遣いのメールを出したって、向こうさんからは返事のひとつもないわけです。きっちりとした返事を求めて、という目的のメールではないにせよ、ちょろっと返事のひとつでも寄越せよと思わずにはいられない。これが遠い間柄だったら、そもそもメールの文面だって変わってくるだろうし、先方も丁寧に返事をくれるでしょう。手軽さがもたらす一つの欠陥であるとしみじみ思います。これが暇な時だったらまた感じ方は違うかもしれませんが。というかあれですよ、ヘタに気を遣われるほうが胸クソ悪いんで、私の状況がどうだろうが、メールのひとつぐらい送ってくれてもいいんじゃないんですかね。ここまで来たらもう内定あろうがなかろうが、ハラ括って生きていくしかないんですから。いつまでも毎日セミナー・面接生活は送れないですよ。いい加減遊んだり美味しいモン食べに行ったりしたいですよ。卒論のこともありますしね。とダラダラ不満をぶちまける前に、自分から電話のひとつでもかけてみろってもんですな。…結局、そこなんですよ。メールが発達してから、電話なんてほとんどしなくなった。今更、わざわざ電話ってのも…というので、ますますメール頼りの生活になる、と。メールというのは非常に受動的側面を持っているがために、このような焦れた気持ちになってしまう。電話だと、双方向コミュニケーションツールなので、相手が電話口でシカトなんて行為に及ばない限り、コミュニケーションは成立します。けれど、メールはいくらこちらがアクションを仕掛けても、相手の返信がなければ一方通行に終わってしまうツールです。なんてしたり顔でつらつら書いてるのも格好悪い。こうして書いてる自分も、人からのメールを1ヵ月ほど返事してないということで、ウダウダ言う資格はなし、ということで無理矢理この話終わり。

 結局のところ、相手がどうだとか言っても、実際相手がどんな状況にあるかなんてことは把握出来ないわけです。ハーバマスだったか誰だったか、その人の立場や視点に立たねば理解することは出来ないと言った、まさにその通りであります。一見、お気楽そうな、何の障害もない順風満帆な人生を送ってるように見えたとしても、その人が秘かに抱える苦悩なんて知るよしもない。その人が私に吐露しない限り、わかるわけがない。だから、こうして他人の事情を慮らずに、人に対して不満を持つのは止めようと思いながらもつい文句を言ってしまう弱い人間です。社会学の理論は理解できても実践はなかなか出来るものではなく。言うは易し、行うは難し。


えもんかけ |MAIL

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