懊悩煩悩
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2002年03月19日(火) 神々の詩

 昨日の件でひとつ書き忘れたことを思い出しました。講壇での説教の途中、突然一人の女性が踊り出したんです。あまりにいきなりで、あっけにとられて何も言えませんでしたが…。一種のトリップ状態なのでしょうか。くわばらくわばら。

 引き続き宗教話。イヤンな方は今日の日記読み飛ばしてくださってかまいません。人間の精神世界って万華鏡だから面白いんですけどねえ…。

 昨日はまああんな風に書いちゃってますが、宗教を信仰していることを否定する気は更々ありません。その人が生を全うしてゆく上で、何を拠り所にし何を生きがいとするかはその人の自由ですものね。私とて自分が生きがいにしているモノたちを否定されるのは辛いことです。けれど、何事にも限度というものがあります。その「モノ」に対しての熱狂の度合いがあまりに過ぎると、日常生活にも支障をきたしますし、ひいては自分の精神さえ危うくなる、と。その「モノ」で自分の生きるためのバランスをとっていたのに、その「モノ」によって自分の心のバランスを崩してしまうとは何と皮肉なことでしょうか。過ぎたるは猶及ばざるが如しの典型であります。

 個人的には「神」といったものを信じていないので、信者さんたちの気持ちはいまいちわかりません。こういう言い方はちょっと傲慢入ってしまうかもしれませんが、私にとって自分の神は自分自身なのですよ。思いっきり誤解を招きそうですが、多少の間接的要因で人生が進むとしても、結局のところは己が切り拓いていかねばならんのが人生ですし。かといって自分だけの頑張りで全ての事象がうまくいくわけでもないので、そのへんの折り合いをつけるのが難しいのもまた事実ですけども。何をするにも自分自身がしっかりと主体性を持って行動することが肝要ではないでしょうか。一度しかない人生です、欲望のままに生きればよいではありませんか。って私は己の欲望のままに生きすぎなんですけどね。ええ俗にまみれておりますとも。

 宗教も実に多種多様で、一概に物事を言えないのでなかなか簡単に喝破できる問題ではありませんよね。ひたすら禁欲を奨励する教義もあれば、ありのままに生きよ、と説く教義もあります。それらのどれが間違っていてどれが正しいと言い切ることは出来ません。ただそれが自分自身の中でのこととして結論を出してとどめておければ良いのではないかと。そこからオーバーヒートして己で制御出来なくなってしまうことが恐いわけであります。そうなると精神の瓦解を招くのは火を見るより明らかです。

 余談。気になったので昨日の某宗教法人名でネット検索をかけると、ぽつりぽつりと情報が釣れました。末端の信者はどうかわかりませんが、どうやら新興宗教系の御多分に漏れずやっぱりちょいとヤバげな団体のようです…。あああ友人のことがかなり心配になってまいりました。コトが人の心の問題にかかわってくるだけに難しいですがさしあたっては静観の方向性で…


えもんかけ |MAIL

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