懊悩煩悩
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2002年02月06日(水) |
待ちきれない2/20 |
えー只今非常にヤバげな状態です。精神が。ちょっと頭の線が一本や二本切れてそうでーす。何故かというとそれはゴスペラーズのせいなのですよシュビドゥバ〜オーイェ〜(しっかりしろ)出来ることなら今すぐ夕日が射し込み水面がキラキラとまぶしくきらめく砂浜を猛ダッシュで駆け抜けながら「好きだ好きだ好きだ好きだぁぁぁぁぁぁーーーーーッ!!!」などど荒木飛呂彦風に叫びたい衝動にかられております。一刻も早くNewアルバム「FRENZY」を出してください。あと二週間なんてもう待ちきれません。オフィシャルサイトの試聴もサーバーの調子が悪いようでいっこうに聞けません。メンバーがDJのラジオ番組もウチの地域は周波数が合わず聞けません。プロモCM・TVも東京オンリーで見られません。ゴスファンにとって関西は天中殺なのですか…?こんちくしょー東京に住んでやる!(無理です)
近頃こういった「熱中症状」的状態になるたびに思うのですが、やはりインターネットの力は大きいものなのだな、と。ネットがここまで力を持つまでは、「何か」にハマり、それを「布教」するのはせいぜい周りの人ぐらいで、コミュニティとしても雑誌などを通して細々と縁を繋いでいく程度だったと思うんですね。しかし、今やネットを通してあらゆる地域の人々と交信することができ、情報の共有度合いも広がりました。以前某サイトでどなたかがちらりと書かれていたことですが、情報・価値観の共有というのは非常に快いものなんですよね。それは一体何故だろう、何故「快い」という感情になるのかと考えてみると、「同族意識」といったようなものではないかと。そして、その「同族意識」は、掲示板やチャットなどを通して更に絆を強めることができ、その絆の安心感(?)で自分の中の熱中の度合いがますます高まるのだと思うんです。しかも、そういった媒体は現実に会って話すのとは違い、容易に記録しておけるということも見逃せない点で、この記録により更に大勢の人が情報を共有し、コミュニティが広がってゆく…ということなのではないかと考えるわけです。
ごちゃごちゃと御託を並べたててしまいましたが、更に言うならば、情報の共有の多角化での最大のメリットは「情熱の継続のしやすさ」ではないでしょうか。自分ひとりで熱中し、盛りあがり続けるというのは、非常に困難なことですし、自分が所持できる情報量も限られています。最初は熱烈であった情熱も徐々に冷めていくのは当然といえます。そこに、ネットという媒体が顕れたことで同じ「何か」を好きな者同志が簡単に集まれる場が生まれ、ひとりひとりが持ち寄った情報が大きなデータベースとして形成され、しかもその情報は日々新たに更新される。いわば閲覧者は常に「生きた」情報をたやすく手に入れることができるようになったわけです。情報が沢山入ってくることで、自ずから情熱も持続していく、と。
うーなんだかごっちゃごっちゃと書いてしまいました。ゴスペラーズ最高!イエー!ってのを書きたかったはずなんですが。いやはやなんとも。
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