散書
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2009年05月08日(金) 認識の時差

シナプスこそがまず進化すべきだ。


自分が言ったことを、あとで思い返して、「ん? 違うぞ、〜〜じゃないか」と思い直すことは、思いの外、多い。‥‥俺だけじゃないよな?
特に多いのは、人物評を話題にして喋ったあと。類似パターンとしては、小説とか書いてて、あとで書こうとしてたことを間違ってることに気づく。というものも。
なんでしょうね。突発的に注意力に穴が空いたりでもするんでしょうか。あるいは、思考が寄り道したりする間に混線でもするのか。同じようなもんか。
そして、これが発生した場合、あとからはもうどうにも取り返しがつかないか、もしくはどうでもいいかの両極端。

かといって、紆余曲折すらできない思考では、人生も面白くなかろうな。


自分の手に負えない問題、が身近で多発するのは、社会の複雑化のせいだと思うわけだけど、そういう問題は、手に負えなくてもなんとかしなければ、と思うなら、とにかく力づくの解決しかないわけで、それが、頻発する突発的な殺人の根幹なのではなかろうか。とか。
おかしな殺人事件とかが起きると、専門家はしたり顔で何事か語ってくれたりはするわけだけど、だからといって、その事件の背景にあったなにかを根本的に解消するための働きかけを国に対して行ってくれたりはしない。結局は他人事なんだろう。
そんな体温のない『他人事』の積み重ねが、結局は衝動的な『ように見える』殺人の温床となるわけで、そう考えると、ああ、日本ってコミュニティはもう詰んでるんだな。と。王がどこに逃げても次の一手で詰みになる状況で、とにかくヤケクソで取れる駒を片っ端から取ってやれ、という、なんの解決にもならない将棋のような。
人が自分の利益を追求することばかり考えるようになったときから、この結末は目に見えてたよな。とも思う。
極論すれば、資本主義が人を殺すわけだ。

そしてこのどん詰まりの状況をなんとかしようと思えば、やっぱり力づくに頼る他なくなって、世界情勢や国家体制そのものをどうにかできるような力づくってのはまあテロか戦争しかないだろうし、そうするとまた人が死ぬわけで、自然死以外で極力人が死なないようにしようと思えば、『改善しているつもりだけど実際は横這い』状態を見て見ぬふりで続けるしかないわけだ。
なるほど。絶望的だ。

身近に、力づくでどうにかしてしまいたい人間がいる場合の対処法を、とにかくどうにか考えることが、今できる唯一の個人努力だろう。とかなんとか。


旅行は計画を練っているときが一番楽しい、という人がいるそうですが、確かに空想を弄んで画策している段階というのは楽しいものです。
でも結局それは、マイナス要素や不確定要素を除外して考えているからなんですよね。保険も考えずに成功はありえない。

できない言い訳に逃げるより、実行する努力。
喩えて言えば、まずは予算、8万くらい?
なるほど。絶望的だ。


取り敢えず、『負の感情』って言い回しはやめるべきだと思う。


詩螺時依 |HOME PAGE