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夕方になると妙な感情が湧いてくる。
懐かしい感情や、寂しい感情や、明日をワクワク待ちわびるような感情。 どうしてなんだろう。 自分でも分からないような、ホントは分かっているような。
振り返ってみると、今までの私の生活の中で夕方の情景というのはステキな思い出が多いような気がする。 当時の私にとってはステキじゃないこともあったのかもしれないが、思い出になってしまうとどれもステキで、あのシーンがあったからこそ今の自分がいるんだと思える。
どれも甲乙つけがたいシーンばかりだが、 今でも一番心に残っている夕方というのは、青森の竜飛崎での時間だ。
昔、家族旅行で竜飛崎に出かけたことがあるのだが、そこで見た夕焼けが悲しいくらいに素晴らしくキレイだった。 なんの色気もない、ただの夏の家族旅行だったのだが、 車の中では「小野リサ」が流れていて、なぜかボサノバと青森の夕焼けがしっくりと合い、BGMを聴きながら私はどんどん夕闇がせまってくる外の風景といつか必ずやってくる家族との死別を重ねていたような気がする。 (あ、死別といっても今現在もみんな元気だけどね。)
それから時が流れ 私も結婚して新居の整理も落ちついたころ、旦那と竜飛崎へ旅行に行った。
いつでもどこでもグズグズしている体質の我々夫婦は、その日も相変わらずグズグズしていたため、竜飛崎に到着したのはすでに夕方だった。
宿に向かう途中、昔家族旅行で訪れたときと同じ場所に車をとめ 夕方の風景を眺めていた。 あの時ほど天気は良くなかったので夕焼けというほどの空ではなかったが、 昔私が訪れたときからここはずっと変わらずに存在していて、私が目にしなかっただけで冬はものすごい風雪にさらされたりして、いくつもの季節を越えていたんだなぁ…、と不思議な感情にとらわれていた。
そして今、一緒に隣でこの風景を眺めているこの人は きっと宇宙が誕生したときから一緒になる運命だったのだろう…とまたまた不思議な感情が押し寄せてきた。 そのとき、聞こえてくるはずのない小野リサが流れていたような気がする。(かっこつけすぎ。)
こんな事情から私には竜飛崎で過ごした夕方の時間というのがとても強烈に記憶されている。
他にも心に残る夕方の情景というのがまだまだたくさんあるのだが、 じっくりと考えてみると、悲しくてやりきれない夕方の記憶というのは今になるとほのぼのと緩やかに思い出せる。 逆に、ほのぼのと緩やかに過ごした夕方の記憶の方が今となるとキュンと切なくなったりする。不思議なものだ。
きっと失いたくない幸せな時間だったからこそ過ぎてしまった今、時間の流れを感じてなんとも複雑に切なくなるのだろう。
そして、悲しくて辛い時間は太く短く。 そういうことなのだろう。
だから今辛いことがあっても、未来の私にとってはステキな思い出の一部になる。 平凡で緩やかな毎日をかみしめて生活する方がずっとずっと人生を豊にするんじゃないのかなぁ。そんな気がする。
今日夕焼けを見ていたら、ふとそんな感情が湧いてきた。
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