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2002年11月12日(火) ありがとう

先週からお世話になっていた施設のみなさんとも今日でお別れ。
明後日からはまた別の施設でお仕事だ。

今回のお仕事、ホントは違うインストラクタが担当するはずだったところ。
色々と都合があり急遽私が入ったわけなのだが、私自身ホントはこの期間違う施設でお仕事をするはずだった。
バタバタと状況が変わり、結局私は今日までそこでお世話になった。
これもナニかの縁だろうなぁ。

ここでの講習会初日の朝、
本来私が行くべき会場から変更先のこの会場へ移動途中ちょっとショックな光景を見てしまった。

それは私が赤ん坊から小学生の途中まで育った家の前を偶然通りがかった時のこと。
その家を離れたのはもう24年ほど前のことだ。

なんとこともあろうにその時、
その懐かしい昔の我が家が取り壊されている最中だったのだ。

思わず車をとめてしまった。
そして車の中から家が壊されていく様子を見ていた。
かろうじてまだ一番奥にあった両親の寝室と、その隣にあった茶の間が残っていた。でも恐らく今日中にそれもなくなってしまうのだろう。
雑種の犬「ピコ」の小屋があった庭も廃材の山になっていた。

色々と想い出のある家だったのでかなりショックだった。

できればこのまま全部なくなるまで見守っていたかったが、仕事があるのでそうもいかずすぐに車を走らせたのだが、運転中涙がこぼれてきた。

到着するまでかなりおセンチだった私。
そのせいか途中少し道に迷ってしまった。あれれ。

お昼前に仕事場に到着したのだが、到着するなり会場のほんわかした雰囲気に呑まれた私であった。
職員の方々の温かい雰囲気、お年寄りのおおらかな雰囲気。
すっかり先ほどまでのおセンチな気分はどこへやら…。

今回のこの仕事は県からの依頼だったのだが、県内の老人保険施設でパソコン講習会を行うというものだった。
お年寄りにパソコンの楽しさ、便利さを体験していただき世界を広げてもらおうという目的の講習会なのだ。

私が思っている以上にみなさんのパソコンへの興味が強かったことに驚いた。

施設によってはあまり反響がないところもあると聞いていたが、私がお世話になった施設は毎日、午前も午後も大盛況だった。

昔よく聴いたラテンミュージックのサイトを検索したおじいさんが、特に好きだった曲のタイトルを目にした途端ポロポロと涙を流していた。
この人にとって、きっとかけがえのない想い出があるんだろうなぁと思った。
私がこのおじいさんの年齢になったとき、心が震える程の想い出がどれだけ作れるのだろうかと考えながらおじいさんの横顔を見た。

森進一のファンだと言う94歳のおばあちゃんはとってもモダンな人だった。
ほのかにムスクの香りがする人で、私はその人の横にいながら

「女性はこうじゃないとなぁ…。」

と痛感した。
いつまでも身なりをきちんとしておしゃれを楽しむ。今の私に欠けていることだよ。てへへ。

そのおばあさんはパソコンのセンスもある方で、スイスイとパソコン操作を覚えてくださった。
マウス操作もスムーズで、キーボード操作もスムーズだ。
森進一の公式サイトからファンメールを送りたいとのこと。
それから「じゃがいもの会」について知りたいこともあるとのこと。

おばあさんは一文字一文字集中してキーを打っていた。

そんなおばあさんの様子が今日のニュースで流れたのだが、
実はその続きがあるのだ。

メールの場合返事がこないこともあると思い、私はおばあさんのメールの内容をコピペしてファンの集う掲示板に貼りつけておいた。
勝手にそんなことをしてしまうのは悪いような気がしたが、せっかくインターネットの入り口に立ったおばあさんに感動して欲しかったのである。
是非「インタラクティブ」を感じて欲しかった。

そして今日、掲示板を開いてみると…あった、あった!
同じ森ファンの方から「じゃがいもの会」に関する情報がおばあさんあてに寄せられていたのである。

さっそくおばあさんにそのサイトを見ていただいた。
それからそのページを印刷した。
とても喜んでもらえた。インターネットが色々なところに繋がっているということを実感していただけたようだ。

そのモダンなおばあさんは最終日の今日、最後の時間まで参加してくださった。
MIDIサイトから流れてくる昔の日本の曲に耳を傾けたりして、パソコンの楽しさを存分に味わっていた。

そんなおばあさんの横には、サスペンダーをしたちょいとファンキーなおじいさんが座っていたのだが、ファンキーおじいさんは80を過ぎているということだった。
しかしシャキっとしていて、おまけにちょっときかん坊。
森ファンのおばあさんが聞き入っている曲に向かって

「オレ、こういう叙情歌大ッきらいなんだ!」

とか、わがままなことをおっしゃるがなんだか憎めない人だった。^^;
(どことなくルックスも威勢のいいところも私の父に似ていたよ。)

森ファンのおばあさんもなかなか扱いがうまく

「じゃ、次はこの方の好きな曲を流してくださいな。」

とさらりと受け答えしていた。

そんなふたりの後ろに、もう一人おばあさんがいてそのおばあさんはニコニコしてふたりのやり取りを見ていた。
次に流す曲はその三人で仲良く決めることができた。

“桜井の訣別”

という曲に無事決定し、スピーカーから流れる曲に合わせ三人で合唱していた。

おぉ〜よかったぁ〜…と私は胸を撫で下ろしていたのだが、唄い終わるとファンキーおじいさんが涙で声を詰まらせていた。

事情を聞くと、

「オレが子供の頃おやじが風呂に入りながらいつも唄っていた曲なんだ」

とのこと。
私も胸が熱くなってしまった。

お年寄りと触れ合う時間の中すっかり頭から消えていたが、その時、昔住んでいた家が壊されたことを思い出した。

かたちあるモノはすべてなくなっていくんだなぁ。
でもここの施設のお年寄りのように、こうやって想い出を大切に持ち続けることができる。
想い出はなくならない。

あっというまの期間だったが私はたくさん勉強した。
私はパソコンのインストラクタとして働いたわけだが、結局はどんなに便利なツールより、最後は温度を感じる人とのふれあいが大切だということ。
ユビキタスが発達しても、それはあくまでも道具のひとつなのだ。

始まりは、仕事先が急遽変更になったこと。
そのためたまたま通った道が昔の我が家の前だった、
そして失っていく悲しみを味わっているときに出会った人達、
そこでたくさんのことを学んだ。
もし家が取り壊されている様子を見ることなく施設に訪れていたら、今回の講習会の受け取り方も違うものだったのかもしれない。
こうやって考えてみると、これから私が出会う出来事すべてに意味があるのだなと思う。

これから先の私の人生、
私も心が震える程の想い出をいっぱい作っていこうと思った。
楽しいことも悲しいことも、いっぱいしょい込んで。
どれもこれも大切な経験。


…っつうことで、

なんだかとても語ってしまったが
やはり最後はオチがつく。

テレビ出演のこと。

そりゃぁ、もう女優きどりの私であった。
メイクもバッチリべったりのっぺり…という具合でカメラの前に立ったわけだ。

で、
今日、夕方のニュースで5分ほど施設の様子が流れたのだ。

私はインタビューされなかったがパソコンの前であれこれ説明している姿がばっちり映っていた。
満面の笑みをイヤらしく浮かべる私。
声もカールがかかっていた。
(カールがかかるとは…くるんと弾んだ声の意。よそ行き声。発見者=私の妹)

以前一緒にお仕事をした方からメールをいただく。

「びっくりしました。何気にテレビを観ていたら…!?思わず“ふつさん!!”と叫んでしまいました。」

そのような内容のメールだった。

「テレビ映りいいですね。」

というコメントがついていたのだが…

いいえ!モトがいいんです!
(相変わらずナルシスト。自分大好き。)


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