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2002年09月23日(月) 20年先を見越した男、「Sいち」

Sいちとは私の実家の父の呼び名である。
この日記の最後に登場するので乞うご期待!






今日も私はお仕事だった。


ワードでハガキ作成をやったのだが、今回もなかなか楽しい雰囲気であった。
お昼は公民館の和室でアシスタントのたえちゃんママと楽しいランチを過ごす。

たえちゃんママはコンビニのサンドイッチ。
私はコンビニの助六セット。

食べ終わった後ちょっと物足りなさを感じるのではと不安になり、食後公民館に隣接する物産館にお菓子を買いに行こうと計画していたのだが、話しに夢中になっているうちにお昼休みが終わってしまった。
結局私たちはちょっぴり寂しいコンビニランチを口にしただけだった。

まあ、いいか。
ここんとこ私食い過ぎだし。
でもたえちゃんママはスマートだからおやつを食べても良しだっただろう。



午後の講習の最後にいよいよハガキを印刷したのだが、
プリンターに刺し込むハガキの方向をプリンターの近くにいた受講者のお父さんと私で確認したのだが、2人で自分の体をハガキにみたてて
「このプリンターは頭からこう、仰向けになって入っていけばいいんですね。」
と、
お父さんと私は立ったままえびぞりになってハガキの気分を味わったりもした。
やはり理屈より実体験が大切だということで。
でもお父さんと私は、日ごろの運動不足のせいか
えびぞりになりながら苦しさのあまり顔が真っ赤になった。
腹筋も微妙にピクピクしていたかもしれない。(背筋も)

このお父さんは、来週のエクセルの講習にも参加するとのこと。
再会が楽しみである。



仕事が終わると
旦那と2人で私の実家へ行った。

今日はお彼岸ということで仏壇に線香をあげた。
仏前には仙台名物「長なす漬け」の詰め合わせをお供えした。
天国のじいちゃん、ばあちゃん、お茶請けにどうぞ。

私がそんな思いを込めて神妙に手を合わせていると旦那が

「本当にお父さんにそっくりだなぁ。」

と、感動していた。

旦那の顔を見ると、
旦那は仏壇の上に飾られている「父の父」と「父の母」の写真を見上げていた。

「どっちに?」

と、聞くと

「どっちにもそっくりだ。」

と、答えた。
確かにどっちにもそっくりなのである。
ちなみに「父の母」つまり私にとっておばあちゃんという人は
顔がビートたけしの母親にそっくりだ。



線香をあげると
リビングにはお茶の用意が。

母はホットミルクを用意してくれたのだが、
気づくとなぜか父と旦那は水割りを手にしていた。

そして次に気づくと日本酒を手にしていた。わお。




父は今日も絶好調であった。
新聞の折り込みに土地を売りますという内容の広告が入っていたそうで、それにちなんで土地を転がす話しなどをしていた。

あ、でも現実は
土地を買う余裕などないのでSいちの夢物語である。


それと
もしあの土地が手に入ったら畑をつくりたいとも言っていた。




父は旦那に熱く語っていた。

「これからの時代、金を持ってたってなんにもならねえ。
これからは自給自足の時代だ。
なあ、ひーむ、そう思わねえか?
安全な食べ物は自分の手で作る時代なんだ。」

旦那(ひーむ)は父のその熱い語りに
ジッと耳を傾けていた。

後で旦那から聞いたのだが、力のこもった父のメッセージにこの時感動していたとのこと。
(っていうか、「ポリープ」のことを真顔で「ポリーム」と言ったり、
「プラカード」を「バリケード」と言ったりする、いつもの父とは別人だったため驚いていた…というのが正直のところだと思うが。)


「だからな、ひーむ。
おまえも蛇くらい食えなきゃダメなんだぞ、これからの時代は。
な。そうだろ。
今度食わしてやるからな。」


日ごろバリカンを使って自分で髪を刈っている父。
(クロ助のトイレに頭を出して。)

「ひーむ、おまえの髪もお父さんがバリカンで刈ってやるぞ!」

日ごろからこのように父におびやかされている旦那。

「今度は蛇ですか、お父さん…。」

小動物のように恐怖に身を震わせる旦那であった。


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