友とは何か。愛とは何か。

MAD TIGERの
のも ...
〜〜  ヲ タ ク の 魂 1 0 0 ま で  〜〜


2007年03月13日(火) 戦国時代キタ――――!!

江戸時代に次いで、とうとう戦国時代の波がやってきました。
おなじみMAD TIGERです。

12,13と、兄貴の結婚式のために仙台へ行ってきた。
13日はとっとと帰る親族と別れて 一人で仙台を観光してきた。
観光っつーか・・・・なんやろ、もう完全に伊達政宗しか目的としてない(笑)。
ちなみに、なんで自分が政宗公にこだわるかと言うと、色々理由はあるんやけど
一番大きいのが、「戦国武将占い」で自分が「伊達政宗」だったから というのが一番大きい(笑)。単純ですよー☆
女子供にも容赦しない、バッサバッサと斬り倒す独眼竜政宗。
あ、ちなみに自分幼少時代に必死に大河の独眼竜政宗を見た覚えがあります。大好きやったなぁ、何故か。


13日は12時過ぎに親族と別れ、ひとり仙台観光をキメこんだ。
とりあえず観光前に靴の修理やで、履いていたパンプスに滑り止めを付けてもらう。
昨日は豪雪で13日が晴天だったから解けて、でも温度は低いから日陰になるとそれが凍るというめっちゃ危険な状態だったため、
保険としてやっておいた。
その後、「るーぷる仙台」という市内循環バスの一日乗車券を購入した。
るーぷる仙台は市内の主要である観光場所を30分感覚で運行しているレトロな形の小型バスで、すごくかわいい。
乗ろうと思ってたら「2分前に出てしまった」と聞かされ、仕方ないので仙台駅前にあるファッションビルの5Fで
【大古書市】をやっているという看板が出ていたのでそこに行ってみる。←どこ行ってもそれかよ

そこでは非常に驚いた。
ありとあらゆる紙類が売られていた。
仙台(宮城県)だから、東北のものがメインになってはいたのだが
「昭和15年福島県の通帳」とか「昭和30年(ごろ)米の配給帖」とかマニアックすぎる書物というよりは、紙類。ほんとうに紙類。
すっごい昔の明星とかも売ってた。あと、昭和初期の年賀状とか。
びっくりしたのは「配給された砂糖の使用法」という小冊子。
砂糖の使用法なんて、よくわかんなかったんだろうなぁ。
食事にはあんまり使わないし。
とりあえず欲しいものはそこそこあったけども、別に必要なくね?と思って買わなかった。
その判断は今でも間違っていなかったと思っている。

で、その後すぐ隣にあった薬屋に入ってみたら、なんと冷蔵庫の中にブラックサンダーが大量に入っていてビックリ!!
しかもポップがでかでかと付いていて「チョコ売り上げNO.1!一度食べたらやみつき!」と書かれていた。
仙台では、500mlペットボトルを除けてまでブラックサンダー押しです。
すばらしい街だと思います。

で、そろそろ時間になったのでるーぷる仙台に乗りに行く。
るーぷる仙台では「瑞鳳殿」前という、伊達政宗公のお墓(安置されている立派な建物)に行く入り口で降りた。
予想通り、瑞鳳殿へ行くまでの道のりが凍結している。すべり止めつけてもらってよかったと心底思う。
瑞鳳殿では一人熱心に資料館とかを見入っていたんだが、
資料館にはリアル政宗公やその子供の頭蓋骨とかあるわけですよ。
あれねー、本当に嫌な人は本当に嫌やろね。
ちなみに、薄暗い資料館で一人っきりでした(笑)。
正直自分も、一人っきりで遺体と対面て、いい気持ちはしなかったなァ。
そしてエンドレスリピートの遺体発掘現場のビデオ。
でも飾ってあるものも、飾り方も、説明も素晴らしかったと思う。
特に瑞鳳殿の隅にある殉死した家臣の名前をきっちり(出来る限り)記載してある看板とかには、
できる限りの情報を提供しようという気持ちを強く感じた。
建物としては、カラフルで細工も綺麗なんだが、「繊細さ」や「奥深さ」に欠けるような気がしてならない。
なんていうかなぁ、綺麗なんだけど欧州的というか。
ワッサーって飾り付けて満足しているというか・・・・。
ワビサビの日本的な部分とは若干違うかな、といった感じ。

で、その瑞鳳殿のいたるところで見かけた「九曜星」という家紋だがうちの家紋と同じなんですよ!!伊達家!!伊達家万歳!!←何が
今日から自分、伊達TIGERでもいいですかね。
格好良過ぎだな(笑)。しかもティガーて。外人かよ。伊達虎宗とかのほうがいいか。
すみません、調子に乗りすぎました。

で、どうやら伊達家の本当の紋は雀のやつなんだが、それと平行して使用していたのが九曜星らしい。
九曜星という家紋を初めて使った(作った?)のが伊達政宗だそうだ。
資料館で見た情報ですが。で、伊達家家臣も九曜星を使用していたようだ。
ちなみに、藤原や細川が九曜星なんだが、MAD家は藤原の流れです。

あまりの大興奮に写真を取り捲る。やっぱり他人ではなかった!!
伊達政宗、やっぱり他人ではなかった!!←他人だよ
つーね、もう胸がいっぱいになるわけですよ。


で、政宗公の子供や孫の墓(同じような立派な建物)へ行くまでに戊辰戦争で亡くなった兵士を弔う碑とかがあって、さらに興奮。
そうか!!そうなんだ。伊達って旧幕府軍側についたのか。
いろいろ感じることがありながら、とりあえずまたるーぷる仙台乗り場へと戻るわけです。

瑞鳳殿での疑問
・政宗公の墓の中にロザリオがあったそうだが
 ・・・・なんでロザリオ?キリスト教徒ですか?
・しかもそれだったらなんで瑞鳳殿は仏式なんですか?
・さらになんで明治から伊達家のお墓は神式にかわったんですか?
・結果旧幕府軍に付いた伊達家だが、なんで青葉城に上座
 (徳川家や天皇を座らせる用)を作ったんですか?
 旧幕府側ってことは、天皇反対派だったわけだよなぁ??


っつーね、もうまた疑問が出てしまうわけですよ!!!!
で、これを調べるとどんどんその歴史にのめりこんでしまうわけですよ!!


誰か止めて――――!!!



あれか。独眼竜政宗のDVDかなんか買ったら早く解るのか?


で、これは今日のことなんだが九曜星談義から始まって、色々家系について父親に聞いてみた。
インターネットとかで調べると「MAD家は静岡県の豪農」と書かれていたため
本家が農家をしていた覚えはなかったんだが、そうだと思っていた。
本家敷地の家庭菜園から手裏剣とか刀剣が出土しまくってはいた。
で、聞いてみたらやっぱり違っていたみたい。
武士で、何石か知らんがなんか領土を与えられてて、その領土を小作人に与えて農作をしてもら(させた?)ってたらしい。
で、自分は武士だから戦に出てどーのこーの。←聞けよ

昭和に戦争で日本が負けて、マッカーサー来て農地解放になった折
MAD家の土地もかなり解放して(させられて?)今ではそこそこの感じ。・・・・ということらしい。

かなり凄い話がある。
本家はその土地周辺で「陣屋」と呼ばれているんだが、源頼朝が巻狩(まきがり:武芸を磨くために動物を獲る)に来た時
MAD家(本家)に陣を張ったらしい。本家に書物で残ってるようだ。
いやいや、源頼朝ってそんな身近な人じゃなくね?っていうこっちの意識など無視した展開。
だから陣屋だったのか、と改めて痛感した。
父親が幼少の頃は、頼朝公が馬を繋いだというむっちゃデカい桜の木があったり家の人がやる弓道場と薙刀道場があったそうだ。
残しておけばよかったのに・・・・。
今は、なんか本家のその場所にバレエ教室が出来上がってます(笑)。



っつー、そこそこの由緒正しい生まれのはずなのに
なに自分?








カスですか?







うるせーうるせー!カスですよ!!(`Д´)ノ

そんなカスがまた続きを書きますよ!!


で、今日は楽天ブックスでアクションポーズ集・侍・忍者編と刀事典を購入してしまいましたよ!!
たすけて!!

>よゐちゃん江
伊達政宗は徳川に付いて、石田三成勢と戦っているみたいですね。
またちょっと調べてみようと思います。




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