自分は無宗教だ。 神棚は一応あるが、それは宗教というより日本に根深く残る土地の神様といった感じだろうか。 神社だって寺だって教会だって行くし、姉貴の結婚は洋式、親の結婚は和式、トイレは洋式 クリスマスは好きだし正月は初詣に行くしお盆に本家に帰ったりもした。 無宗教極まりない。典型的なイベント好き日本人だ。 だからこそ宗教に対する考えかたが浅く、宗教の違いによる対立なんかにも理解が示せない事は多々ある。 「隣人を愛せ」とか、「すべてを許せ」とか言っていながら、その宗教以外の信仰宗教は認めないとか・・・ 矛盾を感じてならないのだがどうだろうか。 どっちかというと、キリスト等の完全宗教的なものより、最近流行りの「禅」等、自然を愛するという 日本的な宗教の方が自分は好きである。 木造の寺なんかに行くと落ちつくし、子供時代は境内に乱入してよく遊んでいた。
何も、宗教が悪いと言っているわけではない。 ハナから信じきっている人はその教えに疑問を持たないのか、と不思議である。 疑問を持たないから信じきっているのか・・・。考えれば考えるほど、それはブラックホールである。 今日は宗教のナゾをガンガン出してみようと思う。
四国は「八十八ヶ所めぐり」というものがあり、全国から人が来る。 八十八の寺を巡って、己を考えなおせみたいな小イベントだと自分は思っている。 愛媛、高知、徳島、香川の4県にまたがり寺が分布していて、歩ききる自信のない人や お歳よりにはバスツアーなんかもあったりする。 実際ウチの両親は車で八十八箇所行ったらしい。とても楽しかったと喜んでいたが、 それは宗教を信じているからとかではなく、ある種巡るのを目的としたイベントとして 捉えていたと言った方が正しいと思う。 ついでに実家にはよく、お遍路さん(八十八ヵ所めぐりをする人)が托鉢をしに来る。 【マメ知識::映画「死国」では、八十八箇所を逆に周ると人が生き返るという伝説があって、実際生き返っていたシーンがあったが、そんな伝説も知らないし、生き返るかどうかも定かではない。ロケ地は愛媛県と高知県で、友達の家の近くだった(笑)。セリフに「うち、死にたくないがよ〜」というものがあるが、愛媛、もとい友達の近所でそんな言葉は使わないと御立腹の様子であった。】
実家に帰った時に山登りを何度もしていたが、山登りをした頂上には八十八箇所のうちの一つの寺がある。 そこの風景や眺めが好きで登りまくっていたのだが、登山途中にある歴史や伝説を説明した看板には 「はぁ?」というものも多い。 八十八箇所はたしか、弘法大師(=空海)が作ったんだったと思う。 それにならえ!みたいな感じで周るのが流行りになったのかどうか分からないが とにかく一般人も歩いて何かを悟ろうということになったわけだ。
さてここで、八十八ヵ所いわば空海に問題提起だ。 八十八ヵ所ではいたるところで、「食わず○○」という事を耳にする。そういう伝説があるのだ。 おじいさん(登場人物は老若男女多岐にわたる)が庭になっている食べ物(芋が無難だが、桃だったり柿だったり)を美味しそうに食べていると、そこに弘法大師が通りかかる。 その弘法大師が「おいしそうな○○だな。分けてくれないかな。」と言うが、相手は「この○○は固くて(苦くて)食べられないから、分けることはできない。」と嘘をつく。 黙って去る弘法大師。一人占めして食べるおじいさん。すると翌年、実ったものは本当に固く(苦く)とても食べられたものではなくなっていた。その時になって初めて、あの人物が弘法大師だと気付いて後悔(空海なだけに←寒)するのである。 この話・・・八十八ヵ所ではどこでも聞かれる話しでスタンダードなのだが、「酷いおじいさんだなぁ」で 済ますにはいかない事情があるではないか。 罰を与えたのは分かる。心の狭い、優しくないおじいさんに「もっと優しくなれよ」と言いたいのは分かるが、 「もらえなかった」から「仕返し」というのはあまりに子供っぽすぎないだろうか。 自ら悟り開くために歩いているわりには我慢もできないのか。←おい 生きていればそんな人になど沢山会うだろう。その度に仕返しをするのか? それを、言葉で諭すことすらせずにいきなりの仕返し。
子供かよ(三村風)!!
あとキリストや大仏に一つ。 お地蔵さんとかに髪の毛が生えているイメージはない。瀬戸内寂聴さんも剃っている。 なのに、なんで大仏はパンチパーマなの??キリストは髪の毛と髭が生えてるの?? そういえば、大仏の頭はパンチパーマやなくて、あのボツボツ一つ一つに意味があったと思うのだが・・・
――【検索開始】―― 大仏さまの頭のぶつぶつは何ですか。 ●大仏さまの頭についているぶつぶつのことを「螺髪(らほつ)」と呼んでいます。
1世紀から2世紀のはじめ頃、形のある「仏像」がつくられるようになりました。ガンダーラでは髪の毛は波状に表現されることが多かったのですが、マトゥラーでは髪の毛が渦巻状に表現されるようになり、日本へと伝わった仏像表現に大きな影響を与えたといわれています。
この「螺髪」の「螺(ら)」とは、巻貝のことで、大仏さまの「螺髪」も近くで見ると下のように渦巻き状の形をしています。真円ではありませんが、直径が約22cm、高さが約21cm、重さは約1200gあります。 <東大寺HP参考>
*詳しくは東大寺のHPへ!ブツブツの素敵な拡大写真も見られるよ!!
思わず笑ってしまった・・・東大寺ですら「ぶつぶつのことを・・・」と説明する始末。カワイイなぁ(笑)。 ということは、釈迦(=ブッダ=ガウダマ・シッダールタ)の実像は、別にパンチではなかったと。 釈迦を仏像としてを表現するうえで、そういうインディーな影響をうけたと、そういうことらしい。
分かった。ブッダはよしとしよう。
では、キリストには髪の毛と髭が生えている。これは納得がいかない。 自分の考えが「大自然万歳」な仏教よりに偏っているのは認めるし、キリスト教は身近ではないから 知識が少ないのもあるのだろうが、キリストのその髪や髭は誰が切り剃ってたんだ?? あの適度な長さの髪を保つために、2ヶ月に一度は理髪店か・・・。 あの適度な長さの髭を保つために、毎朝ハサミでちょっとずつ切ってたり・・・。 あの長さになったということは、伸びるという基本的な部分はきちんと昨日してるんだから、 あの長さでピッタリ止まるわけではないわけで・・・。 考えれば考える程謎だし、信仰されるわりにはあまりにもラフで俗っぽい。 宗教自体が人間離れした、悟ったものなんだろうなぁという時点でちょっと自分も偏っている気はするが。
キリスト教ではカトリックとプロテスタントがどっちが良くてどっちが悪いだとかで 殺人にまで発展したりしている。 おかしくないか???? 心の安らぎを求めるのが宗教ではないのか?自分でイライラする道選んでどうすんのさ。 宗教に正解も不正解もないが、自分が信じるものを推し進めるがために 戦争になったり殺人になったりするのはもってのほかだと思う。 それ以外だったら、壷を高額で買うなり足裏診断してもらうなりあなたの血をサラサラにしますとかやるなり合同結婚式するなりおぢばがえりするなりペンダントを肌身離さず付けるなり農作物を作って売るなり、好きにしたらいい。 それが信じたものなら、金をつぎ込んで気持ちよくなればいいと思う。
人を傷つける宗教などあってはならない。 それが宗教ならクソくらえだと思うのだが。
以上、いきなり考えたことでした。
<<<今日の苦情のコーナー>>> 【説明しよう!今日の苦情のコーナーとは、いきなり思いついた苦情を虎がブツクサ言うコーナーだ!!】
ウチの両隣がヤ9ザっぽいんですけど、どうしたらいいですか!!! 左隣は7割ヤ9ザだがまだいいとして、右隣は引越ししてきたのは5ヶ月ほど前だがまだ挨拶もなし、 車は路上駐車だわ、そのくせ他の家が止めている車のせいで自分の車が通れなければ 何分もクラクション鳴らしぱなしにするわ、怒鳴り声が聞こえるわ、会っても挨拶はしないわ、町内会に入ってないわ、奥さんフィリピン系だわ、何人住んでるのか分からんわ、もう謎すぎ!! 早朝ウチの庭にゴミを持ってくる飼い犬(庭もないくせに放し飼い)も謎!!! またその犬がカワイイんだ、コレが!悔しいことに!! 「どうちたの〜♥」(←病気)とか言うと、窓ごしに寄ってこようとするんだYO!ウハー!! で、結局何か食べ物が入っていたらしきパックをウチの庭に捨てて行く、といった感じ。 なんだ・・・なんなんだよ、あんたんとこの犬は。 今朝は散歩中の他の犬に吠えかかったあと、ウチの庭に来て「やりましたけど!」みたいに報告していったぞ。 なんなんだ。名前付けて飼っちゃうぞ。コラ。 この間車に跳ねられそうになってたぞ。いいのか、それで。
とにかく・・・この謎だらけの隣家の対応方法モトム。切実。 犬野郎もどうしたらいいか、対応モトム。 そういえば以前この家(立替前)の時に居付いてしまった看護婦さんの猫「チコ」は、 「トラコ」というセンスの欠片もない名前をつけられてMAD家に引き取られました。 その後自分が中学2年の時に永眠。人懐こい猫やったなぁ〜(今の実家のとは違って)。 動物の息いの場なのか?ここは。 ファンタジー・ゾーンとなってきたウチ。どうにかして。対応策モトム。切実。
MAD TIGER地味作品集
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