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■ 冷たい雨
4月11日 全ての仕事をキャンセルし 私は朝病院へ向った 看護婦のSノちゃんから 「昨夜から血圧が低下してきています」 そう伝えられた 右の足には自動血圧測定器を足に付けられ 左の足からは点滴の針が刺さっていま 左手からはモルヒネの静脈点滴
夕方6時頃Hの母と交代して私は帰った その後、弟が母と交代
夜10時過ぎに地震
雨が降り始めた12日0時を過ぎた頃 胸騒ぎのする気持ちに従い私は車を走らせ病院へ向った 到着する数十メートル手前で弟から 血圧が低下していると偶然、連絡を受けた Hの自宅へ母を迎えに行き病院へ向った 母を正面玄関で降ろし駐車場へ車を置いた後 私は必死で走った
無我夢中で走り病室へ向った
「お母さん手をさすってあげて!」とHの左手を母が 私は右手を握った 看護婦さんに「もう苦しくないんですよね?」などと 私は口走った気がする 応急処置して下さっていた医師が 「これより御自分の力で呼吸をして頂きます」と 言ったか定かではないが酸素マスクは外された Hの名を母が呼ぶ 弟は病室を出た 私は手をさすりながら顔から目を放す事はなかった どの様な状態でも目を背ける事はしてこなかった 痛みを変わる事も苦しさを解放する事もできなかったけれど その時間を共に過ごしている以上 目を背ける事ができなかった
マスクを外された ほんの数秒、Hは自分で呼吸をした 最後の一呼吸の後、小さく首が垂れた
医師の言葉は「ご臨終です」だったのかは記憶にない
その後、待合室で待つように言われた 弟が親戚に電話を入れたのだと思う 多くの人達が駆けつけた
病室に戻りHの頬に触れると温もりが残っていた 「もう苦しくないでしょ?」と話し掛けた 私は混乱しているのかHが呼吸をしている錯覚に陥った そして 多くの親戚の方達により病室の片づけが始まった
主治医が到着し 「残念な結果となってしまい・・・」と涙を流された 医師と看護婦さんがHをストレッチャーに乗せはじめた時 私は思わず 「痛くない様にお願いします!」と叫んでしまった エレベーターに乗り霊安室に向った そこへは初めて行く場所のはずなのに 私の足は記憶していた なぜだろう?
2:00 迎えの車が到着し私は車を病院に置いたまま Hの横に乗っていく事にした もう1人誰かが乗って行ったが 弟でもなければHの母でもなかった 記憶にない
Hの自宅に到着 「帰ってきたよ」と話し掛ける Hが自宅で過ごせる僅かな時間 38時間 13日にはお通夜の会場へ向わなくてはならない
4:30 私は自分の自宅に一度戻る事にする 8:00〜葬儀の打ち合わせがあり 着替える為だ Hは会社を経営しているが 私が代表取締役をしている会社の役員でもある 葬儀は私が一切の責任を持ち行う事にした
2002年04月14日(日)
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