女の世紀を旅する
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2011年12月26日(月) 森田芳光監督急死 61歳、急性肝不全 




★ 『武士の家計簿』 予告
http://www.youtube.com/watch?v=2W_K0z-IHAI
★ 家族ゲーム(1983) - 劇場予告編
http://www.youtube.com/watch?v=0s5Opi3v_FA&feature=related


 「家族ゲーム」「失楽園」などで知られる映画監督の森田芳光(もりた・よしみつ)さんが12月20日午後10時15分、急性肝不全のため東京都内の病院で死去した。61歳。東京都出身。葬儀・告別式は24日午前11時から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は妻和子(かずこ)さん。

 日大芸術学部在学中から8ミリ映画を製作し、1981年に落語家の若者を主人公にした青春映画「の・ようなもの」で劇場映画デビューした。家族の崩壊など、日本社会が抱える問題を独特のユーモアを交えてスクリーンにぶつけた。

 松田優作さんや伊丹十三さんが出演した「家族ゲーム」では、横一列に並んで座る食卓の風景で、空疎な時代の空気を活写。ブルーリボン賞監督賞を受けるなど高い評価を受け、実力派の若手監督として注目された。

 さらに薬師丸ひろ子主演の「メイン・テーマ」など、アイドルを起用した映画をヒットさせ、低調だった80年代の日本映画界をけん引した。

 役所広司と黒木瞳が悲恋のカップルを演じた渡辺淳一さん原作の「失楽園」は社会現象に。夏目漱石原作の「それから」や、向田邦子さんの「阿修羅(あしゅら)のごとく」、さらに宮部みゆきさんの「模倣犯」、奥田英朗さんの「サウスバウンド」など強い関心を持ち続けた文学の世界を、たびたびモチーフにした。

 パソコン通信による出会いを描いた「(ハル)」など風俗を取り入れた映画をつくる一方で、近年は黒沢明監督の「椿三十郎」を織田裕二主演でリメーク。堺雅人らが出演した「武士の家計簿」など時代劇にも才能を発揮した。

 松山ケンイチ、瑛太主演のコメディー映画「僕達急行 A列車で行こう」が来年3月に公開予定だった。森田さんの事務所によると、体調不良で12月13日から入院していたという。

 森田監督は体調を崩して13日に入院したが、その後、容体が急変した。映画関係者は「ご遺族も予期していなかった突然の死だったもよう。体調を崩すまでは、普通に元気だったと聞いている」と話した。関係者によると、監督は酒を飲まない人だったという。現場でどなったりするタイプではなく、言葉は柔らかく、演技指導もていねいだった。食事の場面に独自のこだわりを見せ、ゆでたまごのかじり方を細かく指導したりしていた。パチンコや競馬などギャンブルが好きな側面もあった。

<映画監督の大森一樹さん(59)の話> 
ただただ驚いている。ベテランの域に入り、これからどんな作品を撮るのかというときに、こんな早く亡くなるとは…。同じ世代で非凡な才能を持った人だから、ずっと気になってライバル視していた。シャイな面のある人だったと思う。残念だ。

<「武士の家計簿」に出演した女優草笛光子(78)の話> 
森田監督とは「それから」に続いて2本目の仕事だった。私は性格が明るい方で、どちらかというと陽のタイプの女優なので、「私が出るとコメディーのようになるわよ」と言ったら、監督が「いえいえ、それでいいんです」とおっしゃってくださった。(演技の)説明の仕方、優しさ、俳優がとてもやりやすい監督でした。「武士の家計簿」では初めて共演する人ばかりだったのに、「ああ、家族って本当にこんなふうだな」と思えるムードがすっと出た。また(仕事を)ご一緒にしたい方でした。日本にとって、とても大事な映画監督だったと思います。

<「模倣犯」に主演したSMAP中居正広(39)の話> 02年の『模倣犯』でお世話になり、それ以来なかなかお会いする機会もありませんでしたが、突然の訃報に驚いております。心よりお悔やみ申し上げます。

◆役所広司「ショック…」 
 脚本家市川森一さんの告別式に参列中に、森田監督の訃報に接した俳優の役所広司(55)、三田佳子(70)は驚きを隠せない様子だった。「失楽園」で新境地を開いた役所は、「ショックです。(主人公は)年齢の高い役なので無理だと言ったが、森田さんに説得されて出演しました。森田さんは自分にとって大切な監督。また森田作品に参加するのを楽しみにしていたのに、残念でたまりません」と語った。

 「おいしい結婚」「海猫」に出演の三田佳子は、「まだ若いのに悲し過ぎる。もっと一緒に闘いたかった。『おいしい結婚』のときに『三田さんを生かし切れない』と悔しがっていた森田さんに、ぜひ年をとった私を描いてほしかった」と、何度も目頭をぬぐっていた。

◆遺作主演の松ケン「とても残念」
 森田監督の遺作「僕達急行」に主演した松山ケンイチ(26)は、「とても残念で悲しい。監督の作品の独特のセリフまわしや笑い、思わずニヤリとしてしまうキャラクターに、温かい気持ちと前向きな気持ちを、いつもいただいていた」と監督の死を悼んだ。

 さらに「『僕達急行』のとき、監督は趣味を持たない人間の怖さという話をされていた。趣味を持つことでつながりができ、つながることで、さまざまな障害やジャンルを超え、助け合うことができるのだと僕は解釈した。そのつながりというのが今の僕の人生のテーマでもある。心からご冥福をお祈り申し上げます」としている。松山の所属事務所ホリプロは「監督には松山の中のコメディーのセンスを発見していただき、彼が“カメレオン俳優”と呼ばれる大きなきっかけを作ってくださった」と説明。森田作品で、松山は「サウスバウンド」「椿三十郎」に出演した。

◆世界観に心揺さぶられ
 瑛太(29)の話 突然の知らせにびっくりしています。「僕達急行」の公開時には松山君を交えて、いろいろとお話をしたいと思っていた。初めてお会いしたときから、映画を愛し、人間を楽しむという監督独自の世界観に心を強く揺さぶられていた。監督の作品に携われたことを自分の胸に深く刻んで、これからも俳優として歩んでいきます。心よりご冥福をお祈り致します。

◆爆笑問題 ブレーク前の抜てき感謝
 森田監督が脚本を担当したオムニバス形式の映画「バカヤロー!4 YOU!お前のことだよ」(91年)の第1話「泊まったら最後」では、「爆笑問題」の太田光(46)が監督を務め、田中裕二(46)が出演した。立川談志さんのお別れの会に参列した太田は、コンビがブレークする前に抜てきしてくれた森田監督へ感謝を口にし、田中は「我々の大先輩。61歳…。ビックリしてます」と驚きを隠せなかった。


【履歴】
森田 芳光(もりた よしみつ、1950年1月25日 - 2011年12月20日)は、日本の映画監督、脚本家である。

1981年に『の・ようなもの』で、長編映画監督デビュー。以降、シリアスなドラマから喜劇、ブラックコメディー、アイドル映画、恋愛映画、ホラー映画、ミステリ映画と幅広いテーマを意欲的に取り扱い、話題作を数多く発表する。

東京都渋谷区円山町に生まれ育つ。小学校時代は東宝芸能学校に所属し、子役としてテレビ番組(フジテレビ「長屋の諸君!」)や舞台(日劇「三橋美智也ショー」)などに出演。同期に鷲尾真知子がおり、当時人気子役だった江木俊夫や中山千夏とも交流があった。

日本大学櫻丘高等学校では新聞部に在籍。映画評を担当することになって見たデヴィッド・リーン監督の『ドクトル・ジバゴ』に感動し、映画の魅力に開眼。新宿文化やアメリカンセンターなどに通い、当時隆盛だった実験映画の洗礼を受ける。その後、日本大学芸術学部放送学科に進学し、自主映画製作を開始する。その一方で、全共闘運動に参加するほか、落語研究会に所属(同研究会の先輩には、のちに放送作家となる高田文夫がいた)。

1981年、若い落語家を主人公とした『の・ようなもの』でデビュー。題名は、三遊亭金馬 (3代目)の落語『居酒屋』に出て来る、「のようなもの」というフレーズから採られた。

1983年、松田優作主演の『家族ゲーム』を発表する。家庭をシニカルに、暴力的に描いた、出色のブラックコメディーである。家族全員が長い食卓に、画面に向かって横一列に並んで座る何とも奇妙な食事場面等、何気無い日常の風景を非日常的に描写した、人を食った演出が評判となった。これが出世作となり、新世代の鬼才として広く注目を集める。

1984年、丸山健二原作、沢田研二主演の『ときめきに死す』を経て薬師丸ひろ子主演の『メイン・テーマ』が大ヒット。

1985年に、松田優作主演で、夏目漱石『それから』を映画化。キネマ旬報ベストワンをはじめ、各賞を受賞。

1986年、『それから』から一転、とんねるず主演で広告代理店を描いたコメディーの怪作『そろばんずく』を発表した。バブル時代を色濃く描いた作品となった。

1989年に、吉本ばなな原作の『キッチン』を映画化。大ベストセラー小説を原作としたにも関わらず、興行的に大敗する。しかしビデオの売り上げは好調で、隠れた名作として愛されている。

1996年に、数年の沈黙を破って、パソコン通信による男女の出会いを描いた『(ハル)』を発表する。興行的には不入りだったが、評価は高かった。

1997年5月に、渡辺淳一『失楽園』を、役所広司、黒木瞳の主演で映画化。人生に疲れた中年男女が不倫の果てに心中するというストーリーで、R-15指定を受ける。結果的に観客動員数が200万人を超える大ヒットとなり、「失楽園」という言葉はこの年の流行語ともなった。

1999年に、『39 刑法第三十九条』、貴志祐介原作の『黒い家』と、自身のキャリアにおいて初のサスペンスを発表する。

2002年に、宮部みゆきの大ベストセラー小説を原作とした、中居正広主演のミステリー『模倣犯』を撮った。興行的にはヒットしたが、全編に渡って独自のメディア論を展開したため、純粋なサスペンスを期待した原作者及び原作ファンの怒りを買ってしまった。

2003年11月に、向田邦子脚本のテレビドラマ『阿修羅のごとく』を映画としてリメイク。4人姉妹のそれぞれの複雑な色恋を描いた。大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里、深田恭子、八千草薫、桃井かおりと豪華な女優陣が結集している。

2004年11月に、伊東美咲主演の『海猫』を発表。北海道の田舎の漁師の家に嫁いだ女が、夫の弟との密通の果てに自殺するという、破滅的な恋愛を描いた作品である。森田は「多くの人に見て貰いたい」との気持ちを抱いていたが、伊東の演じた激しいベッドシーンなど、激しい性描写を理由にR-15指定を受けた。

2007年12月1日に『椿三十郎』が公開。黒澤明監督のオリジナル版(1962年)を、同じシナリオを使ってリメイクした。

幼少の頃から好きだった鉄道を題材に、オリジナル脚本で挑む『僕達急行 A列車で行こう』のメガホンを執り、瑛太と松山ケンイチ主演で2012年3月24日に封切られる予定である。使用された車両は20路線80車両で「邦画史上最多」であるという。これが森田の遺作となる。

2011年12月20日、C型肝炎による急性肝不全で死去[3]。61歳没。

★ エピソード
実家が料亭で、芸者や客を見ていて、子ども心に「人間っていうのは体裁ばかりなんだ」と思っていたという。高校時代にマーシャル・マクルーハンの『メディア論』を読み、大きな影響を受けたという。印象に残っている映画として『激突!』『暗殺の森』を挙げている。映画のテレビ放映が時間枠の都合でカットされることを嫌い、かつて『家族ゲーム』がテレビ初放映された際[6]には、一番の見どころであり、視聴者も期待していたであろうクライマックスの食卓バトルのシーンを丸ごとカットしてこれに抵抗した。

『キッチン』が興行的に失敗したことについて、「(原作がベストセラー小説であるので)あんなに(客が)入らないと思わなかったよね(笑)」「修羅場」と後に回想している。1990年代前半は、監督するよりもシナリオ執筆や競馬エッセイの連載などの活動を優先した。映画づくりに迷いを感じており、競馬評論家への転身も考えたと後年のインタビューで回想している。

その競馬では社台レースホースの会員でもあり、リアルバースデー(1989年東京優駿2着)の一口馬主でもあった。音楽の大島ミチルとは、『失楽園』『模倣犯』『阿修羅のごとく』『間宮兄弟』など多数の作品で組んでいる。森田によると、大島とのやり取りは毎回「人に見せられないようなシビアな戦い」であるという。
自身の映画づくりのスタンスについて、「何を描いたのではなく、どう描いたかが大事だ」と規定している。


★ 監督作品
ライブイン・茅ヶ崎(1978年)- 監督・脚本
の・ようなもの(1981年)- 監督・脚本
シブがき隊 ボーイズ&ガールズ(1982年)- 監督・脚本
本(マルホン)噂のストリッパー(1982年)- 監督・脚本
ピンクカット 太く愛して長く愛して(1983年)- 監督・脚本[10]
家族ゲーム(1983年)- 監督・脚本
メイン・テーマ(1984年)- 監督・脚本
ときめきに死す(1984年)- 監督・脚本
それから(1985年)
そろばんずく(1986年)- 監督・脚本
悲しい色やねん(1988年)- 監督・脚本
キッチン(1989年)- 監督・脚本
愛と平成の色男(1989年)- 監督・脚本
おいしい結婚(1991年)- 監督・脚本
未来の想い出――Last Christmas(1992年)- 監督・脚本
(ハル)(1996年)- 監督・脚本
失楽園(1997年)
39 刑法第三十九条(1999年)
黒い家(1999年)
模倣犯(2002年)- 監督・脚本
阿修羅のごとく(2003年)
海猫(2004年)
間宮兄弟(2006年)- 監督・脚本
サウスバウンド(2007年)- 監督・脚本
椿三十郎(2007年)
わたし出すわ(2009年)- 監督・脚本
武士の家計簿(2010年)
僕達急行 A列車で行こう(2012年封切予定)


★ 製作総指揮
バカヤロー! 私、怒ってます(1988年、オムニバス映画。渡辺えり子、堤幸彦、中島哲也、原隆仁が監督)- 製作総指揮・脚本
バカヤロー!2 幸せになりたい。(1989年、オムニバス。本田昌広、鈴木元、岩松了、成田裕介が監督)- 製作総指揮・脚本
バカヤロー!3 へんな奴ら(1990年、オムニバス。鹿島勤、長谷川康夫、黒田秀樹、山川直人が監督)- 製作総指揮・脚本
バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ(1991年、オムニバス。太田光、明石知幸、加藤良一が監督)- 製作総指揮・脚本


★ 脚本 [編集] 映画 [編集]3年目の浮気(1983年、中原俊監督)
ウホッホ探険隊(1986年、根岸吉太郎監督)
免許がない!(1994年、明石知幸監督)
(裏) 盗撮ナンパ道(1996年、中田秀夫監督) ※君都道幸(きみとみちゆき)名義
キリコの風景(1998年、明石知幸監督)
カラフル(2000年、中原俊監督)


★ テレビドラマ [編集]東芝日曜劇場(TBS)
週末物語-シンデレラ・エクスプレス-(1986年、毎日放送)
僕といつまでも(1988年、毎日放送)
お目にかかれてうれしいわ (1993年、毎日放送)
花王ファミリースペシャル『森田芳光ドラマ 今夜だけのお遊び』(関西テレビ)
ペットがおジャマ(1990年)
留守番電話にご用心(1990年)
アブナイ写真はどうする?(1990年)
マコトノハナシ(1992年、NHK)
出演 [編集] 映画 [編集]東京日和(1997年)
不夜城(1998年)
世界の中心で、愛をさけぶ(2004年)
テレビドラマ [編集]土曜ドラマスペシャル『源氏鶏太「重役の椅子」より 上役が遺した愛人』(1988年、TBS)
土曜ドラマ『もうひとつの心臓』(1997年、NHK)
土曜プレミアム『誰も守れない』(2009年、フジテレビ)


★ 受賞歴 [編集]1978年 - 『ライブ・イン・茅ヶ崎』で、第2回ぴあフィルムフェスティバル入選。
1982年 - 『の・ようなもの』で、第3回ヨコハマ映画祭作品賞、新人監督賞。
1984年 - 『家族ゲーム』
第26回ブルーリボン賞監督賞。
第29回キネマ旬報賞日本映画監督賞、脚本賞。
第38回毎日映画コンクール脚本賞。
第5回ヨコハマ映画祭作品賞、監督賞、脚本賞。
第34回芸術選奨新人賞映画部門。
第24回日本映画監督協会新人賞。
第7回日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞、優秀脚本賞。
1986年 - 『それから』
第31回キネマ旬報賞日本映画監督賞。
第28回ブルーリボン賞監督賞。
第10回報知映画賞監督賞。
第9回日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞。
1987年 - 『そろばんずく』と『ウホッホ探険隊』
第8回ヨコハマ映画祭脚本賞。
第10回日本アカデミー賞優秀脚本賞。
1997年 - 『(ハル)』
第21回報知映画賞最優秀監督賞。
第18回ヨコハマ映画祭脚本賞。
第20回日本アカデミー賞優秀脚本賞。
1998年 - 『失楽園』で、第21回日本アカデミー賞優秀監督賞。
2004年 - 『阿修羅のごとく』
第46回ブルーリボン賞監督賞。
第27回日本アカデミー賞優秀作品賞、最優秀監督賞。


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