女の世紀を旅する
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2010年10月13日(水) |
世界の食糧危機(漁業):魚が足りない. |
世界の食糧危機(漁業):魚が足りない.
●タコ争奪戦
ここ数年、西サハラ沖ではタコの争奪戦が熾烈になっている。日本人は世界で一番タコを食べる国民で、現在、最も量が多いのはアフリカ北西部のモーリタニア産だ。以前は隣国モロッコが主産国だったが、資源の減ったモロッコは漁獲規制を強化。日本の調達先はモーリタニアへと移った。かつてはスーパーなどの店頭で「サハラ産」などと表示されたタコが、国ごとの原産地表示が浸透し、「原産地モーリタニア」とラベル書きした商品が多い。
そのモーリタニアでも過度な漁獲で資源は減少している。モーリタニア産タコの7月の対日輸出価格は1トン7700ドル(ツボ漁の800〜1200グラム品、本船渡し)と、前年同月比で5割上昇している。
魚介類の中でも、タコを食べる国はまだ少ない。それでも争奪戦は年々激しくなっているのだから、マグロや、欧米でも消費の多い白身のフィレ(切り身)がとれるタラなどの状況は想像に難くない。
●天然資源のワイルドキャッチ
絶滅危惧種の国際取引を規制するワシントン条約会議で今春、モナコと欧州連合(EU)が大西洋・地中海産クロ(本)マグロの禁輸を提案した。これにより、日本の消費者の間でも水産物への関心が高まった。禁輸案は否決されたものの、減少が進む水産資源には中国などの新興国のほか、欧米各国の買い付けも増える。世界屈指の魚食大国である日本がこれまでのように水産物の供給を確保できるかは、天然資源の管理と「作る漁業」の育成がカギを握る。
トウモロコシなどの穀物や野菜、牛肉、乳製品といった農産物と、水産物の供給には大きな違いがある。農産物も干ばつ、冷夏など異常気象の影響は受けるが、すでに人間の手で需要に見合った供給を得る手法は確立されている。トウモロコシの生産者は供給過剰で価格が下がれば作付けを減らす。生産現場を見れば一目瞭然だが、大規模化した養鶏業はもはや農業というより工業のイメージに近く、天候の影響を受けにくい「野菜工場」の取り組みも盛んだ。
ところが、水産物だけはそうはいかない。国連食糧農業機関(FAO)がまとめた2008年の世界の漁業生産1億5900万トンのうち、養殖魚は4割の6800万トンにすぎない。その4割も、世界最大の水産物生産国となった中国によるコイなどの淡水魚生産が半分以上を占める。
あらゆる分野で技術を進化させた人類も、水産物の供給は依然として天然資源の「ワイルド・キャッチ」に頼っている。
●水産資源の78%は枯渇か?
一方で、需要の増加は加速している。経済成長によって所得が増え、食生活が変化した新興国のほか、欧米の消費も健康志向で拡大基調にある。BRICs4カ国のうち、ブラジルは2002年から07年の間に輸出が3割以上減る一方、輸入量は3割強拡大した。かつて水産大国として鳴らした旧ソ連(ロシア)も一大消費国へと変身し、「甘エビなどはなかなか日本に回ってこない」(日本水産)。オーストラリア産イセエビなどの高級食材は、デフレの日本を素通りし、富裕層の多い上海など中国の沿岸部へ向かう。
東京・築地市場の2010年1月の初セリでは、香港と日本で店舗展開する「板前寿司」が3年連続の最高値でクロマグロを落札した。今年の最高値は重さ232kgのマグロで、1本1628万円という値段は、2001年の2020万円に次ぐ記録だ。板前寿司を経営するリッキー・チェン氏は「香港の人もおいしいマグロを求めている」と話す。10年の初セリにはマカオで高級日本料理店を経営するフューチャーブライトグループも初参加し、築地市場でもアジアの勢いは増すばかりだ。もちろん日本も新興国などの買いに応戦すればいいのだが、高値で買い付けても低価格志向の強い店頭で価格に転嫁できず、国際市場で買い負けてしまう。
海の環境変化や人間の取りすぎさえなければ、水産資源は自然に数を回復してくれる。そこは消費するだけのエネルギー資源などと違う。だが、漁獲量が増え続け、マグロなどの数を回復していく能力を超せば、資源量は減り続けて枯渇の危機が迫る。さらに69億人を超えた世界人口の増加は、新興国の工業発展とともに海洋環境への負荷も高める。「水産資源の78%は枯渇か、枯渇の瀬戸際にある」とのFAOの分析も大げさではない。
日本人には、かつてニシンやハタハタで起きた資源枯渇が世界レベルで起きようとしていると言えば分かりやすいだろうか。
●強まる漁業規制/クロマグロの漁獲量は4割減
ワシントン条約会議での禁輸案は否決されたとはいえ、マグロなどの漁業規制は年々強まっている。漁獲量が30年前の2倍に増えたマグロ類は、魚種と地域で分けた5つの国際委員会が資源を管理しており、2009年までに軒並み規制強化が決まった。高級なトロがとれるため日本人が好むクロマグロは、大西洋・地中海で今年の漁獲量が昨年より4割減り、太平洋地域も現状より増やさないことで合意している。
高級なクロマグロやミナミマグロはすでに供給減少から価格も上昇しており、代用品として割安なメバチマグロの買い付けが拡大。東京・築地市場ではメバチマグロの8月第1週の平均卸値が、1キロ1065円(冷凍)と前年同月比で2割近く上昇した。
スケソウダラは主産国の米国が資源減少を理由に、2010年の漁獲枠を過去最低の81万3000トンと04年の半分近くに減らした。スケソウダラの身は日本でフィレのほか、すりつぶして竹輪など練り製品の原料になるし、卵はタラコや明太子になる。また畜産や養殖飼料に使うカタクチイワシもペルーなどが05年前後から漁業規制を厳しくした。さらに、公海での操業も国連は「漁獲枠が設定されていなければ原則禁止」という考え方に変わっている。
漁業規制の強化は日本人にとって不利益な動きではない。逆に、このまま需要が増え続け、価格上昇が続けば、漁業規制のない国が乱獲に走るおそれがある。実際にカニやスケソウダラなど資源枯渇の危機にある水産物は、国際市場で高値が付き、外貨獲得源となる種類が目立つ。
消費不振で輸入量が減ったとはいえ、日本人は世界のマグロの3分の1、クロマグロは3分の2を食べる。マグロに限らず、日本はタコの48%、ちくわなどの練り製品に使うすり身の73%、エビに至っては90%を輸入に頼る。過度な漁獲が続けば近い将来、様々な水産物がクロマグロのように追い詰められる。そうなる前に、資源量を持続可能な水準に守る漁業規制は必要な方策だ。
水産資源の管理、安定利用には国際協力が欠かせない。違法操業や密輸の監視にも各国の協力は不可欠だ。資源量の実態を正確に調べ、どの程度の漁獲なら安定した資源を維持できるのか、消費大国の日本が各国の協調を牽引しなければならない。
●「作る漁業」の育成/近畿大がクロマグロの完全養殖に成功
天然資源の供給には限界があり、増え続ける世界需要を満たすには作り、育てる漁業の強化も不可欠になる。養殖分野では今年、企業の積極的な動きが目立つ。マルハニチロはクロマグロの養殖を拡大し、2010年度の出荷量を2700トンと前年度より3割増やし、国内初の沖合養殖も試みる。
養殖事業は親から卵をとり、人工ふ化して再び親まで育てる「完全養殖」が実現して、持続的な商業化にメドが付く。ところが現在、完全養殖できるのはサケ、マス、マダイなど限られた魚種にとどまる。養殖の対象魚として代表的なウナギも卵ではなく、稚魚に頼っている。ウナギ稚魚の国内漁獲量は年10〜20トンで量は安定せず、価格も乱高下する。さらにEUは09年に稚魚の漁獲制限を導入し、13年までに漁獲量を6割減らす方針だ。
日本では2002年に世界で初めて近畿大学がクロマグロで、また、ウナギでも水産総合研究センターが完全養殖に成功している。こうした技術力をいかせば、世界の需要を取り込む新たな成長産業としても期待できる。9月10日には豊田通商が近畿大学との技術提携を発表。同社は年内にも1万匹の養殖クロマグロを出荷できる体制を整える。
クロマグロを養殖で1kg太らせるには15kg近いえさが必要で、その多くはサバやサンマなどの水産物を使う。えさに使う水産物をいかに減らすかは、養殖の事業採算だけではなく、天然資源への負荷を軽減する上でも大きな課題だ。メルシャンは養殖のえさ代を大幅に減らせる人工飼料を実用化する。
養殖技術を産業に変えるには、えさの価格上昇を抑えるとともに、生産合理化でコストを引き下げる必要がある。人工ふ化したウナギの稚魚を成魚に育てるのに、現在は1匹あたり数千〜数万円というコストがかかるが、これを100分の1程度に下げないと商業化は無理だ。
農業分野に成功例はある。戦後、価格がほとんど変わらないことで「物価の優等生」と言われる鶏卵である。生産者は1戸あたりの平均養鶏数を40年で1000倍に増やし、大幅にコストを下げた。その間、鶏卵の供給量は8割増えた。こうした生産合理化には、漁業法など現行法制度の見直しが急務だ。漁業協同組合や既存漁業者の権益を優先する現行法は、企業の新規参入や規模拡大を困難にしている。規制を緩和しなければ養殖事業の合理化も行き詰まる。
日本は世界で6番目に大きい経済水域を持つ。だが漁業の担い手は過去10年で3割近く減り、半数が60歳以上だ。将来が不安なため漁船の新造もできず、担い手と漁船の「2つの高齢化」がのしかかる。水産を日本の成長産業として立て直し、日本人が将来も水産物の供給を確保できるかどうかは、政府の規制緩和と企業の取り組みにかかっている。
(日本経済新聞社編集委員 志田富雄)
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