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2010年10月12日(火) 世界の食糧危機(農業):70億人に何を食べさせるのか

世界の食糧危機(農業):70億人に何を食べさせるのか
                       


●ロシアの干ばつの影響で中国産玄ソバは3割も値上がり

「今年の新ソバは高値を覚悟している」。食品専門商社などはロシアを襲った干ばつの影響の大きさに半ばあきらめ顔だ。

 家庭料理のカーシャやケーキに玄ソバ(ソバの実)やそば粉を使うロシアは、日本を上回る世界屈指のソバ消費国だ。ところが、干ばつの影響で自国生産が減り、主要輸入先のウクライナの生産も減少した。ロシアは中国から買い付けを増やし、それが日本の輸入価格に跳ね返った。

 日本の供給量の7〜8割を占める中国産玄ソバの8月の国内卸価格は、昨年の干ばつの影響で45kgあたり4400円前後と、前年同月比で3割上昇。そば粉製造大手の日穀製粉(長野市)や松屋製粉(宇都宮市)も、相次いで販売価格の引き上げを打ち出した。しかし頼みの中国は、生産者がソバから高騰したトウモロコシや緑豆へと作付けをシフトしている。例年なら新ソバが出回る秋には国内価格も下がるが、中国側はロシアの買い付けを見て強気の姿勢という。


●穀物輸出禁止の「プーチン・ショック」

 世界の先物市場の勢力図を米インターコンチネンタル取引所(ICE)と2分するシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)。1848年から穀物の国際相場をリードしてきたシカゴ商品取引所(CBOT)も、CMEが2007年に統合した。CME自身も1898年に設立されたシカゴ・バター・卵取引所(CBEB)がルーツだ。先物市場や金融派生商品(デリバティブ)の歴史が象徴するように、70億人に迫る人類も穀物を中心にした農産物に支えられて今日がある。


ロシア産小麦を積み出すウラジオストク港の港湾設備。今年4月までは正常に稼働していたが……
 その忘れられがちな事実を「プーチン・ショック」は世界に突きつけた。ロシアのプーチン首相は8月5日に、15日から年末まで小麦、大麦、トウモロコシなどの穀物輸出を禁止する政令に署名。ロシア東部やウクライナなどの穀倉地帯を干ばつが見舞い、ある程度の減産は織り込んでいた市場関係者も、地下資源と並ぶ外貨獲得源として穀物輸出に力を入れるロシア政府が全面禁輸まで踏み込む事態は想定外だった。8月6日のシカゴ市場では投機マネーの買いが殺到し、小麦先物(期近9月物)は一時1ブッシェル(=約27kg)8ドル41セントと、2年ぶりの高値に跳ね上がった。

「まず自国民を心配する必要がある」。自国向けの供給優先を強調するプーチン首相は生産量次第で禁輸期間の延長も示唆し、ロシア政府は7月に発足したばかりの関税同盟加盟国であるカザフスタンなどに禁輸への同調も呼びかけた。一方、買い手であるエジプトは、すでに結んだ契約の履行をロシアに強く求める。エジプトでは今年度、食パンなどの価格を安定させるための食料補助が当初見込みより7割強膨らむとの見方も浮上した。パンなどの食料不足や価格高騰が社会不安につながりやすい新興国にとって、プーチン・ショックは深刻だ。


 ここ数年の豊作で足下の在庫に余裕はあるものの、古手の市場参加者には1970年代前半に旧ソ連を襲った大干ばつの記憶がよぎる。当時は、ペルー沖が主漁場で穀物と同様に飼肥料に使うアンチョビー(カタクチイワシ)の漁獲も激減し、干ばつ被害と相まってシカゴ市場の穀物先物相場が急騰した。72年春から73年春までペルー沖の海水温が高いエルニーニョ現象が発生し、73年夏から74年春までは一転して海水温が低いラニーニャ現象へと変わった(いずれも期間は気象庁の分析)。この状況は、今年の動きと酷似する。

 品種改良や栽培技術が進んだとはいえ、農産物の生産から干ばつ、長雨、低温といった異常気象の影響は排除できない。とりわけラニーニャ現象やペルー沖の海水温が逆に高くなるエルニーニョ現象が発生した時は、世界の穀倉地帯を異常気象が襲う確率は高まる。

 しかし、地球温暖化の影響があるとしても、異常気象は今に始まった話ではない。ではなぜ、穀物価格の高騰がこれだけクローズアップされてきたのか。そこには3つの要因がからむ。


●価格高騰の第1の原因は人口増加(70億人に接近)と新興国の食の変化

 第1は世界人口の増加に加え、中国やインド、中東、アフリカ諸国の経済成長と食生活の変化が穀物の消費増を加速していることだ。中国104%増、ロシア141%増、ベトナム206%増、ナイジェリア190%増。キリンホールディングスが8月10日に発表した2009年のビール生産量と前年比増加率は、先進国の低迷と対照的に新興国の伸びが目立つ。ビール自体も穀物製品だが、世界不況をものともせず拡大する消費量からは、新興国の「食生活の先進国化」がうかがえる。

「市場経済に組み込まれると即席めんの消費が増える」。日清食品ホールディングスの安藤宏基社長の持論である。自給自足に近い生活をしていた人が会社で働くようになれば「食事にさける時間は少なくなり、短時間で食べられる即席めんに手を伸ばす」と解説する。世界即席めん協会がまとめたカップめんや袋めんの年間消費は計1000億食。年間500億食を食べる中国だけではなく、ナイジェリアなどのアフリカや中東諸国の消費増も著しい。即席めんの生産が増えれば、当然ながら原料の小麦消費は増える。

 さらに肉類の消費が増えれば、餌となるトウモロコシなどの消費量は爆発的に増える。穀物市場では“常識”だ。肉1kgを生産する(=動物を1kg太らせる)のには、もっとも効率のいいブロイラーで2kg、豚で4〜5kg、牛だと7〜8kgのトウモロコシが必要とされる。穀物市場から見れば、肉はそれだけぜいたくな食料だ。食生活が変われば大豆などを原料に使う食用油の消費も増える。BRICs4カ国だけで30億人近い新興国でこのまま肉類の消費が増え続ければ、干ばつなどの影響がなくても、近い将来に穀物の奪い合いが起きることは避けられない。



●第2の要因はバイオ燃料の台頭/トウモロコシが燃料に

 第2はバイオ燃料の台頭だ。世界最大の穀物生産国である米国では、米農務省の予測で2010〜11穀物年度(10年9月〜11年8月)のバイオ燃料向けのトウモロコシ需要が47億ブッシェル(トウモロコシの1ブッシェルは約25kg。即ち1億1750万トン)と、米国の全トウモロコシ輸出量(20億ブッシェル)の2倍以上に増える。

 オバマ政権はグリーン・ニューディール政策の一環として、石油を中心にした化石燃料からバイオ燃料など再生可能エネルギーへの転換を推進する。食料以外の原料を使う製造採算が思うように向上しなければ、限られた農産物の生産を食料と燃料が奪い合うことになる。

 石油や天然ガスなどの化石燃料は資源枯渇が進み、英BP社の海底油田事故が今後の増産を一層困難にした。バイオ燃料の台頭で穀物など農産物市場と石油市場の結びつきも深まった。原油価格が高騰すれば市場原理からもバイオ燃料の需要は増え、トウモロコシやサトウキビの価格を押し上げてしまう。

 農産物を巡る食料と燃料の奪い合いを国と国に置き換えれば、環境政策を前面に押し出す先進国の政権と、貧困層を多く抱える新興国との対立になる。主要穀物が軒並み高騰した2008年、ブッシュ米前大統領は「世界的な穀物高騰はインドなどの新興国で中間層が消費を増やしたのが主因だ」と主張し、悪玉に挙げられたインドが猛反発した。国連が同年6月にローマで開いた食料サミットで、エジプトのムバラク大統領は「農産物貿易をゆがめているバイオ燃料への補助金は早急かつ真剣に見直すべきだ」と主張した。



●第3の要因は巨額投機資金の流入/穀物は自国消費が主で,1割を世界中で分ける

 穀物市場の構造変化に目を付け、巨額のマネーも流れ込む。これが第3の要因だ。2008年の高騰を踏まえ、米国は農産物の先物市場で投機的資金の規制を強化した。しかし、市場機能を損なうような規制はできず、主要国の金融緩和で膨らんだマネーは供給不安がつきまとう穀物市場に向かう。

 もともと穀物市場は「薄いマーケット」(丸紅経済研究所の柴田明夫代表)と言われる。10〜11年度の米農務省予測で世界の4大穀物生産量は、小麦が約8億4000万トン、トウモロコシが8億9000万トン、コメ(精米)と大豆がそれぞれ5億5000万トンで計28億トンを超す。しかし、生産量の大部分は自国で消費され、国際市場に輸出されるのは平均で1割強、コメだと7%程度にすぎない。その1割の余剰を日本などすべての輸入国で分ける。

 危ういバランスの上に成り立つ穀物の国際市場は、主要輸出国のうち1カ国でも供給に支障が出るとパニックを起こす。2008年にはコメの有力供給国であるベトナムやインド、エジプトが相次いで輸出規制に動き、アジアやアフリカ、カリブ海の輸入国では買い占めや抗議デモが起きた。国と国が、食品と燃料がわずかな余剰を奪い合う穀物市場では08年のような世界食糧危機がいつ再発してもおかしくない。


●日本の穀物自給率は,小麦が11%,トウモロコシは0%

 農林水産省が8月に発表した2009年度の日本の食料自給率は、小麦が11%、大豆が6%、トウモロコシに至っては0%だ。トウモロコシにも国内生産はあるが、飼料向けを中心に1600万トンを上回る輸入量から見れば誤差の範囲内で、0%と計算される。牛肉などの肉類は50%以上の自給率を示すものの、自給率が25%しかない飼料の輸入が止まると食肉や鶏卵の生産は激減する。大豆が主原料のしょうゆ、みその生産も大部分がストップする。それだけ農産物、とりわけ穀物市場の影響は大きい。

 中国が米国産トウモロコシの買い付けを開始した今春から、「中国もついに輸入国に変わるのか」と穀物市場の不安は増している。中国は1995〜96年度に大豆の輸入国へと転換し、米農務省の予測で10〜11年度の大豆輸入量は過去最高の5200万トンと、01〜02年度の5倍に拡大する。

 輸入依存へと戦略を切り替えた大豆と違い、中国はコメや小麦、トウモロコシは自給政策を維持する。しかし飼料などのほか、工業用途にも拡大するトウモロコシの消費が中国で増え続ければ、いずれ自給は維持できなくなる。中国にとっては自らの輸入増で国際価格が高騰すれば、地下資源を頼るアフリカ諸国の反応も気になるが、国内の食料不足と価格高騰が社会不安を招く事態はどんな手段を使ってでも避けようとするだろう。穀物市場はいくつものショックの種を抱えながら、70億人を支えている。

(日本経済新聞社編集委員 志田富雄)



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