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2010年07月12日(月) 劇作家つかこうへい逝去.62歳

劇作家つかこうへい逝去.62歳
               7月12日6時50分配信 サンケイスポーツ


 日本の戦後演劇界に革命的な一時代を築いた劇作家、つかこうへいさんが10日に肺がんのため、千葉県内の病院で死去していたことが11日、分かった。62歳だった。慶大在学中から学生劇団に加わり、「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」などの名作を次々と発表、爆発的ブームを呼んだ。しかし、今年1月に肺がんを公表。入院して抗がん剤治療を受ける一方、病室から電話で演出指導をするなど、最後まで芝居への執念を見せたが、ついに力尽きた。


 関係者の話を総合すると、つかさんは肺がんのため、千葉・鴨川市の亀田総合病院で抗がん剤治療などを続けてきたが、6月に入って危篤に近い状態となり、今月10日午前10時55分、家族に看取られながら、同病院で息を引き取った。がん公表から半年。62歳、あまりにも早すぎる死だった。

 遺体は現在、都内の自宅に安置され、故人の遺言により葬儀は密葬で執り行われる。

 新作「新・蒲田行進曲」が8月12日に開幕する直前だけに、関係者は大きな衝撃を受けた。つかさんは、今年1月25日に肺がんを告白。「飛竜伝2010 ラストプリンセス」の開幕直前で、病床から電話で役者に演技指導するなど執念を見せていた。

 つかさんの名を有名にしたのは、大部屋俳優の悲哀を描いた82年公開の「蒲田行進曲」。80年に舞台で初演したものを、つかさん自身が映画向けに脚色し、深作欣二氏が監督。つか門下生の平田満(56)、風間杜夫(61)に、当時のトップ女優、松坂慶子(57)が加わり、空前の大ヒットを飛ばした。特に平田の階段落ちは国民の涙を誘い、名シーンとして語りぐさに。

 風間、平田をはじめ、つかさんによって見いだされた俳優は数知れず。厳しくも愛情あふれる演出で徹底的に鍛え上げ、無名だったかとうかずこ(52)、筧利夫(47)をスターに育て上げた。最近では小西真奈美(31)、黒木メイサ(22)をブレークさせている。

 アイドルを演技派に生まれ変わらせることでも知られた。NHK朝ドラ「ひらり」で人気女優になった石田ひかり(38)を舞台「飛龍伝94」のヒロインに大抜てき。過激なセリフまわしに体当たり演技で、清純派を脱皮させた。ほかにも、内田有紀(34)、広末涼子(29)、石原さとみ(23)らつか門下生は、枚挙にいとまがない。

 つかさんが演劇と関わりを持ったのは、慶大在学中の1970年ごろ。平田、風間は、このときからの仲間。73年には、「熱海殺人事件」で岸田國士戯曲賞を当時最年少の25歳という若さで受賞。つかさんのシャープで斬新な演出に、劇場は若者であふれかえり、82年の東京・紀伊國屋ホールの「熱海殺人事件」の予約電話には、空前の13万件が殺到した。

 私生活では、つかさんの舞台「サロメ」に出演した熊谷真実(50)と80年に結婚したが、多忙によるすれ違いで82年に離婚。翌年、元つかこうへい劇団の女優で14歳年下の生駒直子さんと再婚して世の中を驚かせた。

 最近も病床で新作への情熱を燃やし続けたつかさん。芝居と人間を愛し続けた革命児の早すぎる死に、演劇界は悲しみに沈んでいる。


★演劇界の革命児、劇作家のつかこうへいさんが、62歳の若さでこの世を去った。「口立て」と呼ばれる独特の演出方法で、俳優たちを極限にまで追い込む“けいこの鬼”。その裏には、深い愛情が隠れ、多くの俳優、女優がつかさんの手をへて大きく羽ばたいていった。


つかさんは、俳優の個性や芝居の流れを見ながら、頭に浮かんだセリフを役者に伝える「口立て」という独特の演出法で知られた。

 口角泡を飛ばし、次々と新しいセリフを叫ぶ。俳優はその言葉を一言一句違わず繰り返さなければならず、一瞬たりとも気が抜けない。

 少しでもすきを見せれば、「なんだ、その芝居は!」「役者なんかやめちまえ!」と怒鳴る。けいこ場は窒息しそうなほどの雰囲気に包まれるが、まさに、それが本番のステージのスピード感と臨場感を支え、観客はその魅力のとりこになった。

 厳しい指導を受けた俳優、女優は数知れない。08年「幕末純情伝」の石原さとみ(23)は清純派として知られるが、卑猥なセリフと動きで女の部分を引き出し、96年「熱海殺人事件」では、モデルから俳優に転身したものの2枚目の役ばかりだった阿部寛(46)の新しい魅力を引き出した。

 つかさんとの仕事について、さとみは「いろんな方向からボールを投げられ、それをていねいに返していくうちに、ひとつの気持ちができあがった」と一体感をあげ、阿部は「ぼくの深い部分を探って内面にある力を引き出してくれた」と感謝。厚い信頼を寄せていた。

 厳しいけいこの末、神経性心痛になり病院に運ばれた俳優も。つかさんは病院にまでついていき、「うまいもん食わないとダメだぞ」とお金を置いていったこともあったという。
 猛烈な厳しさと激しい情熱の裏には、温かく優しい思いやりが隠れていた。



★ペンネーム平仮名は母のため

 つかさんのペンネームは、在日韓国人2世だったことから、「いつか公平な世の中になるように」との思いを込めたとの説があったが、実は65年3月に自殺した中核派の学生運動家、奥浩平(おく・こうへい)氏の名前が由来であることを自著の後書きで明かしている。全部平仮名にしたのは、「漢字が読めない母にも分かるように」と明かしている。自身の出自を明かしたのは、83年に再婚した生駒直子さんとの結婚披露宴。90年には、当時4歳だった一人娘、みな子さんのために書いた単行本「娘に語る祖国」で、ルーツと民族について語った。



★残していた遺言

 つかさんは、2010年1月1日付けで、「友人知人の皆様、つかこうへいでございます。思えば恥の多い人生でございました。先に逝くものは、後に残る人を煩わせてはならないと思っています。私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうと思っておりません。通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。今までの過分なる御厚意、本当にありがとうございます」と遺言を残した。

 今年1月に肺がんに侵されていることを明かしたつかさんだが、それとほぼ同時期にこのような遺言を残していたことに驚かされる。そんな男気あふれるつかさんの早すぎる死が悔やまれる。



カルメンチャキ |MAIL

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