女の世紀を旅する
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2005年05月22日(日) |
仕事について: アラン 『人間論』から |
仕事について : アラン『人間論』から
●すぐれた人と凡庸な人との違いは受け入れ姿勢の違いにある
「ある職業を喜んで,さらには心から,受け入れた場合と,その同じ職業を
いやいやながら甘受した場合とでは,実際大きな違いがある。優れた会計係
と凡庸な会計係,優れた大工と凡庸な大工 との違いはすべてこれであ
る。」(アラン『人間論』)
どの仕事についてもいえることなのだが,その道のプロになるには最低でも7〜8年の修行を積まないといけない。就職して数年間は丁稚奉公みたいなもので,とにかくなんでもかんでも吸収していく積極的な姿勢と目標が大事である。目標が無いとモチベーションも高まらないだろう。コックになりたい,看護士になりたい,美容師になりたい,と若い青年たちは漠然と希望をもつが,どの仕事についても,仕事というもの地味でコツコツと努力をしなくてはプロにはなれないし,高い目標をもつことが大切だ。プロにならなければ報酬はもらえないのである。
タクシーの運ちゃんだって電気技師だって,簡単にはなれない,みんなプロだからこそ報酬がもらえるのである。生半可な職業意識と未熟な技術しかもっていない人間にお金を払う人などいない。
たとえば,ラーメン屋に入って食べたラーメンがまずかったたら,その人は「お金を損した。もう2度とこの店には来ないぞ」と思うだろう。一度逃がした魚はもう2度とは戻ってはこない。
上記のアランの言葉には人生についての深い知恵がかくされている。
自分がやっている仕事について気のきいた自己批判や,ちょっと小馬鹿にし たような発言ができるほうが,仲間うちではカッコよく見える。会社や上司についても「ウチの連中はみなバカばっかりで,仕事はまったく面白くもなんともない。この会社で仕事をしなければならないというのも,みんな身すぎ世すぎさ。仕方あるまい」。なんてカッコつけちゃったりする。
ところが,そんな風に何度もいっているうちに自分でもそんな気がしてくるものだ。では,この気取り屋の仕事ぶりはどの程度かというと,これがたいしたことがない。自分の仕事を軽蔑しているのだから,どっちにしてもたいしたものにはなり得ない。
「自分のような人間でも,ひろって使ってくれる会社があった。嬉しい」といって働く人と,「本来,オレのような才能のある人間が働くような職場ではないが,しょうがない,勤めてやっている」と考えて働く人と比べたらどうだろう。仕事の取組み姿勢も,仕事のできばえも違ってくるのは当然のことではないだろうか。職業や職場に対するこうした意識の違いは,新人社員のうちはあまり大きな差にはならない。しかし,5年,10年たつと取り返しのつかないほど大きな差になる。
どんな仕事にも奥行きがあるもので,一つのことをマスターするとまた自分の知的収穫に刺激されて次のことを覚えたり,試したくなるというように出来ている。誰かが「仕事の報酬は仕事だ」とうまいことをいっていたが,その通りである。やっているうちに面白くてたまらなくなる。こうやって楽しんで,その上月給をもらうのだから悪くない。この人は二重に報酬をもらっていることになる。
これをくりかえして何年もたつと,当然明らかに違いがでてくる。仕事を楽しんでいる人にはいつのまにか豊富な知識や技術,経験が身につく。上司からも仲間からも頼られる人間になっている。仕事を心から喜んで受け入れた結果である。
これに対して平凡なビジネスマンはこんなふうに言う。「オレは給料分ぐらいの働きはしている」。「会社の体制をもっと良くしてくれなきゃ仕事がやりにくくて困る」。おまけに「オレはプロだ」などとうそぶく。なにがプロなものか。他の仕事はできないというだけのことじゃないか。
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