女の世紀を旅する
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2002年08月29日(木) 中国共産党の権力闘争:江沢民の野心

                  2002.8.29







●中国共産党の権力闘争の変遷

そもそも中国共産党の最高指導者の交代は、予測が難しいことで知られる。中国共産党の歴史を見ると、後継者として決まっていたはずの人が、突如失脚してしまう事態がたびたび繰り返されてきた。今回もまたまた水面下で権力闘争が渦巻いている。


 中華人民共和国の初代の最高指導者となった毛沢東の後継者として、1960年代には劉少奇(りゅうしょうき)が予定されていたが、1966年に文化大革命が勃発し、劉少奇は失脚した。さらに、毛沢東が次に後継者に指名した林彪(りんぴょう)は、文化大革命が続く1971年、今も真相不明である「毛沢東暗殺未遂事件」の末、モスクワに亡命する途中,モンゴルで飛行機が墜落して死んでしまった(林彪がこの飛行機に乗っていたかどうかさえ疑わしいと噂されている)。


 結局、毛沢東が1976年に死んだ毛沢東のあとを継いだのはあまり有名でなかった華国鋒(かこくほう)だった。だが、激しい権力闘争の結果、彼の権力も2年間しかもたなかった。


 代わって最高指導者になったのはトウ小平であったが、彼の後継者選びも順調ではなかった。当初、トウ小平の後継者は改革派の胡耀邦(こようほう)だと思われていたが、経済開放政策が進んだ1980年代後半、民主的な政治開放を求める学生運動が広がる中で政局が混乱し、学生運動を放置した責任をとらされて胡耀邦は失脚した。


 錙小平が、胡耀邦の代わりに指導者として置いた趙紫陽(ちょうしよう)も、下からの政治開放要求が「動乱」に発展した1989年の天安門流血事件の混乱の中で、すべての党職務から解任され,代わって後継指導者として据えられたのが、江沢民(こうたくみん)だった。


 江沢民は現在、共産党の最高位である総書記(中央委員会総書記)、政府の最高指導者である国家主席(大統領にあたる)、中国人民解放軍の最高司令官である共産党中央軍事委員会主席(中国軍は国家の軍隊というより共産党の軍隊という色彩が強い)という、党・政府・軍の3つの最高位をすべて兼任している。




●「次の次の指導者」まで指名したトウ小平

 公職を退いた後も隠然とした政治力を持ち続けたトウ小平が1997年に死去した後、江沢民が名実ともに最高指導者になったが、それから5年経ち、中国ではまた最高指導者の世代交代の時期が来ている。今年は、5年に一度しか開かれない共産党大会の年である。


 江沢民の後を継ぐ最高指導者は、すでに名指しされている。胡錦濤(こきんとう)という人物である。彼は現在、党中央政治局の常務委員(委員は江沢民を含む党の最高幹部7人)、政府の国家副主席、軍の中央軍事委員会副主席(3人のうちの一人)という3ポストを兼務している。党・政府・軍の全分野で、江沢民に次ぐ地位を占めている。


 江沢民の次の最高指導者として胡錦濤を指名したのは、トウ小平だった。胡錦濤は1982年に史上最年少の地方の共産党党支部のトップ(貴州省党書記)となった後、1992年には史上最年少の党中央政治局員に抜擢され、注目を集めた。このときはトウ小平が「江沢民の次は胡錦濤が最高指導者になる」というメッセージを発したものと受け取られた。


 トウ小平が1997年に死去した後も胡錦濤は昇進を続け「江沢民の次は胡錦濤」という流れは確定し、今秋の共産党大会から、江沢民の国家主席としての任期が終了する来年3月にかけて、江沢民は最高ポストを順次胡錦濤に譲り、中華人民共和国の歴史上初めてスムーズな権力者の世代交代が行われると予測されていた。


 76歳の江沢民に対し、胡錦濤は59歳という若返り人事で、江沢民に次ぐ地位にあった李鵬(りほう.議会のトップ)と朱鎔基(しゅようき.首相)という年かさの重鎮たち(いずれも74歳)も同時に引退し、若手に道を譲るはずだった。李鵬は「保守派」といわれ、これまで「改革派」江沢民の対抗馬として機能してきた人物であり、江沢民が引退しない限り李鵬も引退を拒否するとみられていた。そのため、3人そろって辞めることで、一気に世代交代を進めようとした。




●権力を手放さない江沢民の居直りの背景

 ところが、今年に入って政局の様相が変わった。「江沢民は胡錦濤に権力移譲をしたくないようだ」とする分析記事が、香港や台湾、欧米のマスコミに載るようになった。共産党大会の時期も、当初は今年9月後半を予定していたのが、権力の継承問題をめぐる共産党内の議論に決着がつかず、11月上旬にずれ込むことが、ほぼ確実となっている。


 共産党の最高幹部たちは毎年夏、酷暑の北京を避け、河北省の海辺の避暑地である北載河に集まり、長期間の非公開会議を開き、そこで重要事項を論議することが定例となっている。日本政府に入っている情報によると、今年の北載河会議で権力移譲問題を議論した結果、以下のような人事が決まったという。


党総書記=胡錦濤
国家主席=李鵬
中央軍事委主席=江沢民


 この人事のポイントは、江沢民が軍の総帥権を手放さないというところにありそうだ。トウ小平は、党の実力者としての地位(政治局常務委員)を退いた後も2年間、中央軍事委主席を続け、院政を敷いたが、江沢民も同様のことをやりたいのだとも思える。


 江沢民が中央軍事委主席を続投するという憶測は、今年初めから流布し「軍を指揮することは経験の浅い胡錦濤にはまだ難しいので、しばらくは江沢民がやる必要がある」というマスコミの解説もあったが、胡錦濤はすでに中央軍事委の副主席を何年も務めており、役不足ではない。


 むしろ逆に、胡錦濤が「後継者」としての準備をしすぎたことが、江沢民に権力移譲に対する二の足を踏ませた可能性がある。胡錦濤は、副首相になって権力が拡大した1998年ごろから、自分と親しい関係にある党幹部を、各地の要職につけ始めた。


 胡錦濤は若いころ「共産主義青年団」のトップ(第一書記)を務め、これが党幹部としてのキャリアの始まりとなったが、この時代に一緒に青年団の幹部をやった人々が、次々と各省の共産党の副書記などに任命されるようになった。




●中国各地で派閥を構築した胡錦濤

 胡錦濤は、トウ小平に「次世代の後継者」として選ばれて以来、なるべく目立たないように準備をしていた。胡錦濤に対する外国マスコミの評価は「オーソドックスな発言しかしない人物」というものが多い。だがその陰で、彼はぬけめなく自分の派閥を全中国に構築していた。


 他の党幹部たちがこのことにはっきり気づいたのは、いよいよ胡錦濤の時代が近づいた昨年末ごろからだったと思われる。各地の党書記や省知事(省長)たちは、自分の副官である副書記や副知事が胡錦濤の一派であることに気づき、焦りだした。


 現在の中国各地の省党書記や省知事は、これまで13年間続いてきた江沢民政権時代に任命された人々で、いわば江沢民派である。これに対し、副官の多くは胡錦濤派だ。軍の内部でも、首脳陣は江沢民によって任命されたが、その下の中間幹部や若手幹部の層は胡錦濤の人脈に属する人が多い。


 江沢民派の人々は、胡錦濤の時代がきたら、自分たちはお役ご免となり、副官に取って代わられると予想した。単にお役ご免になるだけならまだいいが、辞めた後に汚職の容疑で逮捕・処罰される可能性すらある。


 中国では今、貧富の格差が深刻な社会問題となっており、特に党幹部が利権を乱用して私腹を肥やしているとして一般の人々の怒りをかっている。この怒りを鎮めるため、共産党中央は党幹部の腐敗を厳しく取り締まっている。

 ところが、中国では法律が厳密に運用されておらず、役所の責任者や担当者の個人的な決断で行政が動くことが多い。これは逆にいうと、役所の幹部の多くは、厳密に法律と照らし合わせれば、違法行為の容疑が思わぬところから出てくる可能性があるということだ。政争に敗れた幹部は、共産党が腐敗に対して厳しい態度をとっていることを人民に見せるためのスケープゴートとして逮捕され、厳罰を下されかねないのである。




●「用済み」恐れる党幹部が江沢民に続投を嘆願

 不安に駆られた各地の省知事や省党書記、軍首脳たちは、今年に入り、江沢民に続投を求める嘆願書を相次いで出すようになった。一方、副官や若手幹部たちは、予定通りに胡錦濤へのバトンタッチをしなければ、大混乱になるという党内世論を盛り上げた。


 江沢民自身は、数年前までは胡錦濤への権力移譲を積極的に承認していたのである。胡錦濤は昨年、アメリカやヨーロッパを歴訪し、世界に対して後継者であることをすでにアピールしている。このような行為は、江沢民がやれと言わない限り、できるものではない。

 だが、江沢民には前から「指導者として歴史に名を残したい」という野心があり、引退しても自分の息のかかった幹部たちを党の中枢に残し、隠然とした力を持ち続けたいと考えていたふしもある。そこに、全国の部下たちから「あなたが引退したら、私たちもおしまいだ」と嘆願書が続出し、考えを変えたものと思われる。


 もともと胡錦濤はトウ小平が選んだ人物であったため、江沢民は胡錦濤を完全には信用していなかった。しかも「共産主義青年団」では胡錦濤より前に趙紫陽がトップを務めており、胡錦濤人脈は趙紫陽人脈につながっていた。趙紫陽は天安門事件で党総書記を失脚し、江沢民に取って代わられた指導者だ。趙紫陽人脈は、江沢民人脈に恨みがあっても不思議ではない。


 今年5月末、江沢民は「今後の共産党は、資本家や裕福な中産階級を党内に取り込む必要がある」などとする「三つの代表」理論についての演説を行ったが、この直後から「三つの代表」理論と江沢民のすばらしさをセットにして賞賛する報道が、中国の国営テレビや政府系新聞で目立つようになった。これは、江沢民の続投に道を開こうとする宣伝作戦であろう。


 中国共産党の党規約の前文には、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、トウ小平理論が掲げられているが、江沢民は自分が言い出した三つの代表理論を「江沢民理論」として、党規約前文に追加したいと狙っている、と指摘されている。毛沢東、トウ小平につぐ中国の偉人になりたがっている、というわけだ。




●人民の困窮化そっちのけの権力闘争

 また、李鵬が国家主席に就任するとしたら、それは江沢民が胡錦濤を国家主席にしないための「当て馬」かもしれない。中国が工業先端技術と自由貿易によって再び世界の大国になろうとしている今、経済自由化政策に抵抗し、共産党の政治伝統を守ろうとする李鵬のような「保守派」は、もはや時代遅れで,中国共産党の主流ではなくなっている。


 中国では憲法の規定で国家主席の職は2期10年までしか続けられず、江沢民が国家主席を続けられるのは来年3月までだ。江沢民は、国家主席の座を胡錦濤に渡すぐらいなら、もはや力がない李鵬に渡した方がいいと思ったのかもしれない。


 今回の政権移譲にともなう権力闘争が発生したのは、もとをたどればトウ小平が自分自身の後継者だけでなく、その次の後継者まで決めてしまったことにある。トウ小平は、江沢民が名声に対する野心を持った人物であることを見抜き、個人崇拝を人々に強要する独裁者にならぬよう、胡錦濤を次の次として据えたのかもしれない。だが、その作戦は成功しそうにない。


 中国では、しだいに権力闘争が激しくなっている一方で、WTO(世界貿易機関)加盟や資本主義市場経済が著しく浸透した影響などで、もともと共産党が最も救済の対象としていた貧しい農民や労働者が見捨てられ、いっそう貧しくなっているのが実情だ。潜在的失業者は約2億人に達するだろう予測さえある。貧富の格差への不満はいずれ爆発すると思われる。

そうした点を考えると、下手をすると中国は今後、毛沢東がおこした権力奪回闘争である文化大革命(1966〜75年)以来の大混乱に陥るかもしれない、という近未来予想もなりたつのである。中国も激動の時代に突入しよう。


カルメンチャキ |MAIL

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