昨日、1月15日は父の誕生日だった。
一昨年の12月17日父は二度目の脳梗塞の発作を起こし、ほとんど半身不随になり、言語障害も出て何週間も入院し、その後もリハビリに病院に通ったりして大変だった。
昨日の父の誕生日、実家の近くのイタリア料理店に家族全員で集まり、私と姉からはバカラのグラスを、母からはノリタケのティーカップをプレゼントした。
父は嬉しそうだった。そんな父を見るのが私にはうれしかった。 そしてみんなでミラノ風カツレツを分け合ったりしてワイワイご馳走を食べた。目の前で話をしながらナイフとフォークを使う父を見ていると、よくここまで回復したなあと感慨がこみ上げてきた。
プライドの高い父にはうまくしゃべれないこと、物事がスムーズに行えないことは耐えられないことだったと思う。だからこそ、諦めることはできずここまで回復するようすごい気力で努力したのだと思った。
世の中努力でどうにもならないことのほうが多いだろう。でも、自分の気力で、やってみせるという思いの強さでどうにかなることもある。
父には子供のころから、「本気でやろうともしないでできないなんて言うな」と言われてきた。出来の悪い娘だった私は、いつもその言葉に反発してきた。人の能力には個人差がある。努力したってできないものはできない、のだと。
でも、かなり回復した父の姿をみて改めて思った。人の能力には個人差がある、それは確かだ。でも、それをただ受け入れるのではなく、少しでも良くなりたいという思いで続けている努力は、一朝一夕には実を結ばなくても長いスパンで無駄にはならないのだと。
こんなふうに考える機会を与えてくれた父に感謝することのできた、父の誕生日でした。
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