ふうこの英国留学日記-その後

2002年02月21日(木) Good circle

日本語に悪循環という言葉はあるのに、いい循環をあらわす名詞はないのだろう?

今日は、プレゼンの中身について、先生に聞きに行ってきました。
夢中で、汗をかきかき話して、6時過ぎに先生の部屋を出ると外は、もう真っ暗になっていた。彼女とベニスの建築について話すことは、私をひどく興奮させ、時間を忘れさせていた。何より、彼女自身がベニスという街にとてもひきつけられている、その熱情のようなものが私に伝わり、また、ベニスに魅せられている人間の1人である私はそれに心から共感し揺さぶられた。

ふと、担当教授以外誰1人人残っていない学校を出て、暗い雨の中を1人歩き始めたとき、どこかで、こんな情景を知っていた気がした。

思い出してみれば、それは以前にNHKで見た、ドナルド・キーン氏のインタビューの中で彼が話していた情景だ。
彼がコロンビア大学の角田柳作先生のもとで日本について学んでいたとき、毎晩のように、二人きりで講義をうけ議論をし、気がつくといつも外は真っ暗になっていた。

実際は、5−6人の学生がいたようだが、ドナルド・キーンは中でも特に優秀かつ熱心で、先生とふたりで語りあうことも多かったのだろう。

現在、ドナルド・キーンの研究成果を知ることのできる私たちにとっては、素晴らしい日本人教授が彼の日本研究に対する、道先案内人であったことは、誇らしいことであり、日本人学者としてやりがいのある仕事だと判断できるが、戦後すぐのアメリカで、たった、1人の学生のために、膨大な時間とエネルギーをさき、熱心に日本について教え続けるというのは、まさに、とほうもない情熱がないとなせることではなかったと思う。

私は、先月、浮世絵のセミナーで、ジョンという日本の書を専門に勉強している学者の講義に出席した。その日の彼のテーマは浮世絵の中にある文章(主に俳句、短歌、漢文)が絵と関連して何を表しているのか?というようなことだったが、彼はほぼすべての江戸時代の草書体や漢文を読むことができ、私は非常に感嘆してしまった。しかも、彼の講義は日本の美術や文学、書の美しさに対する、情熱と賛嘆にあふれていて、聞いているこちらまで、うっとりと体が熱くなるような感じがした。講義のあとで、パーティーがあったので話をしてみると、彼はドナルド・キーン氏の直々の教え子だったらしい。

ああ、ここに情熱のよき循環があると思った。
そのときは、こんなことして、何になるんだろうと思うかもしれない。でも、どうしてもそれに対する情熱があるならば、やってみたほうがいい。それは無駄なことではない。

まっすぐな情熱は、眼には見えなくとも、連鎖して、また情熱を生むだろうから。


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ふうこ [MAIL]

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