2002年01月27日(日) |
Mulholland Drive |
ひさびさに味わった、デビット・リンチワールド。
映画を観た後で、一緒に観た友達と4人でIrish Pubに寄り、あのシーンはどういう意味だったのかという話になったが、この映画に関しては、意味がない。
あれ、たまんなかったねー。とか、あそこが超-リンチっぽかったねー。と言い合い、解釈なんて放棄。ストーリーを理解するより、イメージに酔おうというのが正しい鑑賞法だと思う。
友達が、I've never seen such a wired movie. (あんなに酔わせるような映画は観たことないよ!)と言っていたが、そこまでではないにしろ、久々にツインピ-クスやブルーベルベットっぽいリンチの不条理ワールドが観れて私は大いに結構。
彼の映画は現代美術の解釈と同じで、映画によってもたらされたイメージがその人にどう影響するかが鍵なんだと思う。
観た直後より、家に帰って1人になったとき、脳裏に残された映画にイメージによって、見慣れた夜道や、部屋の暗がり、鏡の中の自分などを奇妙に感じたり、何かの瞬間に映画のイメージがにフラッシュバックするその感覚こそが、まさに、私が思うところのリンチのなせるすごい技だ。
理論では説明つかなくても、彼の描くイメージに一貫性はあるように思う。私たちが今見ている世界以外にも同時に違う世界はあり、それは、パラレルに存在し、彼は、その世界を自由自在に渡り歩くように、それを覗き見させる。 記憶と、事実と、選択。その結果変化する個人の認識する世界、どこまでがリアルで、どこからが想像で、今いるのは時間軸のどこ? それらのイメージは、懐かしいような、恐ろしいような、人の奥底にある感覚にゆさぶりをかける。 夢がしばしば、当然のごとく矛盾していることがいい証拠で、人が持つことができるイメージというのは、現実とは関係なく、自由自在に飛躍することができる。 私たちの精神はかなりの自由をもっているのだ。 そのことをリンチは思い出させてくれる。
まあ、それがあんまり行くと狂人と呼ばれてしまうので、気をつけないと・・・ね。
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