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■ 謝罪
先日書いたバラエティー番組の件。 該当テレビ局の社長が謝罪(遅すぎにも思うが)したようだが、コメントは次の通り。
※「番組に人気が出て、どこか調子に乗りすぎていた。“いけいけどんどん”になっていた」 ※「(番組の制作者に)思い上がりの部分があり、やってはいけないことに鈍感になっていた」 ※「今後は制作段階で下品な笑いに持っていかないように注意した上、 番組完成から放送までの間に内容をチェックする体制を強化した」 まぁ・・・社長のコメントとしてはもっともであるし、 局の社長なんかが全ての番組チェックなど出来るはずもないから、こんなものなのかもしれない。
そこで思ったこと。 最近色々な会社の謝罪コメントを耳にする。 9月最初にあったブリヂストンでの工場火災の際に、 不貞腐れたような社員?が副社長名の謝罪コメントを淡々と読み上げた。 かたや8月下旬に名古屋で起きた、石原プロによる撮影中の事故に関して、 代表の渡哲也は被害者に土下座をした上で、制作中止を決定した。
社を代表する人間が、社員(社)の起こした不祥事に際し、 謝罪を述べることは通例であるが、その手法・コメントによって評価はわかれる。 この両者を比べてみても、 後者の渡社長の土下座がよいというわけではないが、 それでも被害者に誠意は伝わるであろうし、 事実、被害者側が制作中止の撤回を申し入れたとの話もある。 逆に前者の場合、社を代表する人間が画面に登場するのではなく、 代読として淡々と読まれたのでは、おざなりにも聞こえてしまいがちではないだろうか? もっとも、いくら代表が出てきたところで、 古くはホテルニュージャパン火災時に会見した某社長の様にはずしてしまう方もいるのだが。
謝罪とは罪を認めた上で、それを謝ること。 即ち、己の過ちを認め、反省した上で、原因を究明した後、その再発防止に努めること。 被害者に心から謝罪をするということは、そういうことではないだろうか?
冒頭の某テレビ局社長の謝罪をもう一度考える。 問題の放送があったのは8月13日。 そしてこの社長の謝罪コメントがあったのは、9月22日。 しかも定例記者会見の場であったと言う。 勿論放送直後に、局幹部が謝罪には出向いてはいるが、 いかんせん社長が出てくるのが遅い気がするのは否めない。 これでは社のTOPの座にいながら、『無責任』と捉えられても仕方がない。
最も、緊急時にゴルフを続ける首相がいたり、 なんでもかんでも秘書のせいにする人たちが国を運営している・・・ そんな国なのだから、1社長がどーのこーのなんて、 どうでもいい話なのかもしれないが。。。
2003年09月26日(金)
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