風のひとり言
kaze



 バラエティ

少し前の話になってしまうが、
バラエティー番組の1シーンが某人をひどく怒らせたというニュースがあった。
かなり話題になったもので、記憶されている人も多くいると思う。

あのニュースを観ていた時に感じたこと。
いや・・・実はあの問題が起こる以前から感じていたと言った方が正しいかもしれない。

昨今のテレビ番組は、クイズ番組やお笑い系番組が増えている。
これは単純に制作費を削られた事、
制作側がマニュアル化され、安易になってきている事、
そしてそれでも視聴率が取れる事でもある。
単純に考えれば、タレントの起用などに関わる予算があるから、
決して制作費は少ないわけではないのでは?と感じるかもしれない。
が、実のところその他の費用が抑えられているのである。
収録は局内のスタジオ、進行は局アナを使い、ロケは極力控える。
こうした部分での予算が削減されているのが現状だ。

と・・・話が横道にそれてしまったので、戻すことにしよう。

そういった番組が多くなるにつれて目に付いてきたのが、
お笑い系番組である。
確かにその系統の番組は、昔からあった。
が、そこには一世を風靡した『芸』が存在したように思う。
20年程前にあった漫才ブームの折にも、各人が独特の『芸』を披露し、
そして淘汰されていった。

しかし昨今のお笑い番組を見ていると、どうにも不愉快になることが多くある。
それは、『内輪受け』である。
一体何処がおかしいのか?何処が面白いのか?と首をひねる事が多々ある。
映像ではスタッフが爆笑している姿が映し出されたりもするが、
どうもこちら側には伝わってこない。
その面白さもそうだが、そのセンスもまたおよそ『芸』とはかけ離れ、
個人を揶揄したり、暴力的であったり、下品であったり・・・
それが今の『芸』なのだろうか?
やっている本人たちもが爆笑しあうその姿は、
ブラウン管の前の人間を相手にしているように感じられないのである。

また、ひどい番組になると『笑い声』のSE(効果音)を、適当な場面で挿入しているものもある。
画面に注意していると、結構同じ『笑い声』が使われていたりする。
それこそ『効果音』であり、制作者側の意図する笑うシーンである。

前述の問題となったシーンも、OAは観ていないものの内容を聞いて呆れてしまった。
番組は、多くの人間の手によって制作されていく。
それぞれが各パートに分かれ、その中でも役割分担が決まっている。
そして間違ってはいけないのが、それぞれが番組制作の『プロ』であること。
然しながらこの『プロ』意識を持った人間が、どれほど現場にいるだろうか。
お互いになぁなぁで番組を作り、作ったものに対して無責任でいる・・・
そんな人間が多く存在していることは否めない。

今回の番組にしてもしかり。
通常、番組が作られた場合、局内での試写を行う。
その際には番組プロデューサーは勿論、担当上司、編成部、広報部などがチェックするのが慣例のはずだ。
また、外注作品(番組によっては局内制作ではなく関連会社に下請けに出す)の場合においては、
そのチェックは二重となる。
それをくぐりぬけて、OAの運びとなるものだ。
今回の番組もまた、OAまでに多くの局関係者の目に触れたはずである。
なのに誰も疑問を抱かず、誰も止めようとせず、そのままOAすること自体、
無責任に他ならない。

会社在職中に、よく部下に言ったものだが、
「映像のプロなんだという自意識をもて!」
「映像サークルをやっているんじゃないから、なぁなぁで済ますな!」
「妥協するな!」
そう口をすっぱくして言って聞かせたところで、聞かない奴は聞かないし、
楽な方に流れてしまう奴も確かにいた。

今回のこの番組制作者集団の中には、そういう口うるさい人間がいなかったのだろう。
それを不幸と捉えるか、当たり前と捉えるか・・・
いずれにしても今回のこの一件は、起こるべくして起こった事柄であり、氷山の一角に過ぎない。
これでよくスポンサーが怒り出さないかと思える番組が数多く存在している。

今回の件、同じ映像の作り手として非常に残念であると同時に、
我が振りも見直すべきと感じる。




2003年09月18日(木)
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