2005年04月13日(水)
(※すべて敬称略で書いています。ご了承ください)
4月10日の話を今日書くのも何なんですが 昨日、一昨日としっかり温めていたということで ご容赦願いたいところなのですが、
桂枝雀がなくなって6年たった今で尚 映像とはいえ活き活きとした枝雀落語を 見ることができたことに幸せを感じています。
関西で深夜に放送されていた枝雀寄席からの 映像ということだったからか、今回放映された 「くしゃみ講釈」は枝雀寄席の本放送で見た記憶があり 面白いながらも何か感慨深いところがありました。
この落語会 先日書いたようなプログラムになっており 個人的に楽しみだったのは 桂雀々と桂ざこば、そして桂米朝の3人でした。
最初に出てきたのは桂雀々で演目は「動物園」 この話読んだことも聞いたことも、テレビで見たこともあり 馴染み深いものだったのですが、桂雀々の落語を聴けると 言うことで非常に楽しみにしていました。
口上であらわれた時から、熱があるのかどうも体調が悪そうで 顔色も悪く、心配はしたのですが、そこははやり枝雀が もっとも大切にした弟子だけあって、非常に楽しませてもらえました。 しかも枕から噺への入り方はピカイチで鳥肌が立ったほどでした。
次に桂ざこばで「阿弥陀池」。この「阿弥陀池」好きな演目の 5本の指に入るといってもおかしくないもので 噺の中で伏線が多重に張られており落ちにつながっているという 非常に面白いもの、何度も読み、何度も聞き、何度も見たものでは あるのですが毎回新たな面白さを感じさせてくれる演目です。
まぁなんというか、枕というか思い出話から、噺への入りは突然だったものの やはり面白いなぁと毎度ながら感じ、落ちへの期待を持ち その期待をまったく裏切らない内容でとても楽しめました。
そして出てくるのは人間国宝 桂米朝で「一文笛」。 この噺は桂米朝自ら作ったもので、この噺を実際高座で聞けるとは 思っていませんでした。 しかし、正直言うとこの噺あまり好きではなく、できれは他の 噺をしてもらったほうがよかったなぁというのが感想です。
その後笑福亭鶴瓶の私落語の「青木先生」があり 枝雀の「くしゃみ講釈」と続くのですが、 このメンバーに尻込みしたのか鶴瓶の古典が聞けなかったのが 残念な限りです。
今お笑いブームと言われていますが 流行というだけで、何でもかんでも若手のお笑いを 見るのではなく、落語を見てみることをお勧めします。
なぜなら今ポッと出ではなく、古くから語られてきている 噺に現在のエッセンスを加え落語は進化していっているからです。
古臭い、ダサいなどと知ったような口をきいているのは ただ己の無知をさらけ出しているだけで 本当に面白いものを逃しているだけなのです。
とにかく落語を読もう、聞こう、見よう。 と思った1日でした。
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