覆面企画7参加作『After Pandora ―溺れゆく希望―』UPしました。 6000文字ぴったりから一万字弱に加筆してあります。
加筆修正は数日前に終わってたんですが、加筆した部分が元からの部分と、ちょっと雰囲気違っちゃって、いまいち馴染んでない気がして、しばらく寝かせてました。 元の作品は、文字数制限のためにほとんど心理描写をしなにでわりと突き放した書き方になってたんですが、加筆した部分だけ心理描写が多くて、やけにウェットになっちゃったから、他の部分とテイストが違っちゃって、うまく埋め込めてない気がするんです。
でも、いつまで置いといても、ジャムや煮物と違って、時間さえ経てば味が馴染んで自動的に美味しくなるわけじゃなし……と、今日、最後の調整をしてUPしました。 やっぱり、加筆部分と元の部分の雰囲気のちがいのせいで、加筆前とほぼ変わってないラストシーンが、加筆部分とちょっと馴染んでなくて、味の馴染んでない煮物みたいになってる気はするんですが、まあ、どこかで思い切らないといつまでも公開できないので。
そのつぎはぎ感のせいで、完成度的には、かえって下がったかもしれません(^_^;) でも、加筆部分も、どうしても書きたかった部分だから。
私の場合、加筆するとウェットになる法則があるかも。 加筆だけでなく、脳内にあったものを実際に書き起こす時にも、その段階で、たいてい腹づもりよりウェットになります。 指先から勝手に水分が出るんでしょうか(笑)
加筆したといってもストーリーは全く変わってないのですが、でも、たぶん、加筆によって、ここはほとんど変わっていないラストシーンの印象が、人によってはちょっと変わるかもと思います。 覆面企画の時に読んでくれた人には、かなり希望寄りの読後感を持つ人と絶望寄りの人がいたのですが、若干、希望寄りに振れやすくなったんじゃないかと……。 もちろん、それが正しい感想だとか、そういうのじゃなく、人それぞれに解釈してくれればそれが正解だと思っていますが。
今回、サイト版には(あ、なろうにも投稿したのです)、実は執筆中から脳内表紙画像だったワッツ筆『希望』という絵画を飾ったのですが、これがあると、解釈を限定してしまうのではないかと、ちょっと迷ったんです。 加筆によって、作品自体は希望寄りの解釈がされやすくなったと思うのですが(たぶん)、ワッツの絵があることで、その希望寄りの解釈を否定することになるのではないかと……。 でも、この絵自体、解釈の幅がある絵だと思うので、良いかなと思い切りました。
この絵が脳内表紙画像になったのは、書いてる途中からです。 前から好きだった絵なのですが、書き始めた時はこの絵のことは別に考えてなくて、途中で、ふっと思い出して。 そしたら、この絵の状況が作中の状況にぴったりなことに気が付きました。 で、『溺れゆく希望』という副題は、その時に付けました。 覆面の感想で言及してもらうことの多かった『もしかするとその希望って〜』という一節も、その時に挿入しました。 (覆面の後書きに、この『脳内表紙画像』の件を書こうと思ってたんだけど、書き忘れたから、今、書きました)
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