時々管理日誌
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2012年01月10日(火) 久しぶりの鍾乳洞

日記を書くヒマがなくて、もう一昨日のことになっちゃったんですけど、超久しぶりの日帰り家族旅行で鍾乳洞他に行って来ました!

今回のメインは鍾乳洞ではなく、足尾銅山。
銅山跡が資料館になっていて、坑道跡が見学出来るのです。
しかも、坑道へは、趣深いトロッコ電車で入ります。
乗車時間5分くらいだけど(笑)

うちは千葉なんだけど、車で東北・北関東方面に行くには、いったん東京を経由します。
首都高を抜けるのに道が混むと嫌だから朝5時に起きて、6時に家を出て、8時過ぎにはいつもの佐野サービスエリアで朝食、9時半過ぎには足尾銅山に着きました。
世界的観光地、日光を、躊躇いもなく素通りして(笑)
冬場なので雪が心配で、一応チェーンを積んで行きましたが、使わなくてすみました。
でも、周囲や路肩はうっすらと雪が積もってたし、朝だから道路も日陰は凍結してて、要注意でした。

足尾銅山の展示は、けっこう面白かったです。
坑道の展示は古ぼけていたけど、そこがまた面白く、資料館はわりと新しくて、いい感じでした。

そして、次は、ちょっと南下して『小平鍾乳洞』へ。
ここは、鍾乳洞を囲んで市営の公園になっていて、鍾乳洞をでたところにある湿生植物園が、鍾乳洞と共通の券で入れます。
ちょうど蝋梅が咲いていて、いい香りでした。
鍾乳洞自体は、こじんまりとした、よく整備されたところで、特に身を屈める必要もなく、足場もよくて、お年寄りでもサンダル履きでも支障ない感じです。
私は長靴履いてたけど(笑)
でも、小さいけど、水が流れている、生きている鍾乳洞で、なかなか見応えがありました。

鍾乳洞自体よりも面白かったのは、この鍾乳洞が、明治時代に発見され、いったん観光化された後、何らかの事情により再び埋もれて所在も分からなくなってしまって、それを昭和になってから、町をあげたプロジェクトで探しあて、掘り出して一般公開したという経緯でした。
鍾乳洞再発見の機運を盛り上げるきっかけとなったという地方新聞の記事が展示されていたりして。
明治から昭和50〜60年代まで、ほんの100年なのに、その間、おおっぴらに観光化され、入場料をとって一般公開してそれなりに人気を博していたらしい鍾乳洞が、あっという間に、どこにあるかもわからなくなって半ば伝説化してしまったというのに、何かロマンを感じまして……。

だって、場所もわからなくなって、それが存在したという手がかりは、お年寄りの昔話しか無かったらしいですよ。
なんで町役場とかに何らかの書類が残ってなかったんだろうと不思議なんですけど、公営じゃなく私営のものだったら、そういうこともあるのでしょうか。
最近、テルミア企画や、椎堂さんのグレンダール・クロニクルの関係で、現実の出来事が伝説化するのには何年くらいかかるんだろうという話をする機会があったんですが、その実例を見た思いです。
100年もたてば、当時は秘密でも何でもなかった鍾乳洞が、ほとんど伝説になってしまうんですね。
それを再び掘り当てたという経緯も、ロマンです!

そして、今回は、もう一箇所。
最後のおまけに、宇津野洞窟という小さい鍾乳洞に寄りました。
ここは、ほんとに小さいところなので、ただここに行くためだけに高速使って栃木方面まで行くのはもったいない感じだから、他のついでに……。
でも、私達にとっては、ある意味、念願の地だったのです。
なんでかというと、以前、やっぱり別の鍾乳洞の帰りに、ここに寄ろうとして、道に迷って辿りつけなかった場所だから!
実際、かなりわかりにくい場所なのですが、今回は、もっといい地図をネットで調べて打ち出して行ったので、ちゃんと辿りつけて、念願叶いました!

鍾乳洞自体は、小さい上に、もう乾いた、ただの洞穴で、整備はされているので探検気分もあまりなく、下の息子はつまらなかったとぶうぶうでしたが……(^^;)
いいの、ここは、発見出来たことに意義があるの!
関東一円、日帰りで行ける鍾乳洞は、なるべく全部制覇するの!

あとは埼玉の尾須沢鍾乳洞に行きたいんですよね。
鍾乳洞自体はともかく、そこに行き着くまでの山道がデンジャラスらしいので、歳とって体力が衰える前に。
あと、入水にももう一度行きたいなあ……。
本当は氷渡洞が憧れなんだけど、あそこはもう体力的にキツいかも(T-T)
要予約で、ガイド付きで探検する鍾乳洞なんです。
長年の憧れ!
長年憧れすぎてるうちに年取って体力落ちて行ける自信がなくなってきた!(笑)
あと、龍泉洞にも生きてるうちにもう一度行きたいなあ。


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