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| 2003年04月16日(水) |
Negative Happy |
『あらゆる悪徳こそが人間存在の本質であり、善とはただかろうじて悪でない状態に過ぎないのだと考えるならば――』(映画『害虫』)
人生の転機となったであろう数日が終わった。 自分だけに限定すれば、おそらくベストを得た、と思う。 だが、限定を外せば、そんなに晴れ晴れとした気分でもない。 悲喜交々の、光景。 俺の周りのほとんどは「喜」のほうに属していたのだけど。 でもやはり全員ではない。 しかし、じゃあ、俺が身代わりになってもいいか、 と問われると、それは嫌だ、と答えるのだから、 所詮はそこが俺の限界だ。
できるなら、この狂ったシステムを破壊したい。 こんなことで人の進路を決めるんじゃない。 以前に、そう訴えたこともあったけれど、 結局、何も変わらずに時は過ぎ、今に至る。 それは、俺がただ叫んでいただけで、無力だったからだ。 それに、何かパーフェクトな代替案があるわけでもない。 ベターを模索したいとは思うけれど。
『およそこの世で最も真実らしくないものを――』(映画『害虫』)
別に今回のことに限らず、一般的にいって、 何かを変えたいと思ったら、口で言っているだけではダメだ。 大きなシステムに抗えるのは、大きな力だけだ。 大きな力、というのは、小さな力の集合でもいい。 だが、そういう集合はいつも実現できるわけではない。 だから、個人の「力」も必要だ。 俺はそれが欲しい。 狂ったシステムを変えるため、 力になりたいと思う人のため、 そしてもちろん自分のために。 (「狂った」という判断は、主観的な判断でしかあり得ないが)
今は否定的な幸福に包まれている。 この気分はしばらくは消えないだろう。 でも、しばらくすれば、消えるだろう。 忘却できるから、生きていける。 そうでなかったら、俺はとっくの昔に、 どこかの屋上から飛び降りているだろう。
『列車の揺れに体をまかせながら、いつまでも、いつまでも私は泣いた。そうして、私にとってもまた、ひとつの時代が終わっていくのを感じていた』(島田荘司『龍臥亭事件』)
(列車に揺られても泣いてもいないけれど、ひとつの時代は確かに終わった、と思う。それは、寂しい、ということと同義だ)
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