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| 2003年04月09日(水) |
錯綜する事象=思考する自分=行動する結果 |
何もかも放り出したら、どうなるだろう? 雑多な事象が折り重なって押し潰されそうになるとき。 そういうときに、ふと、そう思うことがある。 でも、そういう思考はすぐに消えてなくなる。 そんなことをしても、どうにもならないことがわかっているから。 そんなことをしたら、いまある大切なものさえ失ってしまうから。
そして、永久に、手に入らないから。 ……でも、いったい何を? 僕は何を手にいれようとしている? 俺は何に向かおうと行動している?
『われわれ人間は不連続の存在であり、不可解な偶発事のなかで孤独に死んでゆく個体であるが、失われた連続性への郷愁をもっている。そして、偶然の個体に釘づけにされ、死ぬべき個体に縛りつけられているわれわれの置かれている状況が堪えがたい。この死すべきものの存続に不安な望みをいだくと同時に、全的にわれわれを存在に再び結びつける原初の連続性に対する執着をもっている』(ジョルジュ・バタイユ)
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