DiaryINDEX|past|will
現実をある画面内に切り取ること。 写真であったり、ビデオであったり、フィルムであったり。 切り取った時点で、その前とは異なるのだけど、 切り取り方によっては、「現実」が表わすものをより強調することができる。 受け手の解釈を誘導するように演出することもできる。 切り取られた画面には、切り取った者の意図が加わる。 つまり、それが、映像表現、というもの。 (もちろん、被写体のポテンシャルにも左右されるのだけど)
『ああいうフィルムほど人を勇気づけるものはないよね、彼らは無邪気で、真剣で、途上にあって、若くて、しかも現実にはすでに権力を握っているんだ、スピードの頂点にいるわけさ、ボク達を撮ったものはどうなのかな』(村上龍『愛と幻想のファシズム』
*
何かを表現するための手段はいろいろとあって、 言葉、音楽、映像、これらは最もポピュラーな手段。 でも、言葉以外は、使わないことが多い。 音楽も映像も氾濫しているといっていいほどだけど、 ほとんど一部の人間だけが生産・創造していて、 それらを受け取るのが、その他大多数。 言葉だって、十分に表現しようと思えば、 誰にでもできるわけじゃない。 (だからこそ、たとえば小説家というのが職業として成立するのだけど) だから、たいていの人間は、 何かを表現するのに、ポピュラーでない手段を使う。 というか、それを探している途上にいる。 自分の生き方を模索している、といってもいい。 表現とは、自分だから。
|