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| 2003年03月15日(土) |
とり返しのつかないことの連続としての人生 |
色々な選択を迫られる局面がある。 例えば、何かと引き換えに何かを手にいれるというとき。 この場合、「本当にその何かを引き換えにしなければならなかったのか?」と自問することがある。いくらそう思ってももうどうしようもないのだが、それでも思うときがあり、それを人は「後悔」と呼んだりもする。まあしかし、やはりそんなことは考えても仕方がないのだ。「後悔先に立たず」とはよく言ったものだ。大事なのは、そのときそのとき自分がベスト(あるいはベター)だと思う選択を自分に忠実に行い、それを悔やまないこと。まあ、なかなかそう簡単にできることではないけれど、そういう簡単でないことをしようとしてそういうことを何度も経験することで人間は「成長」していく側面があるのだと思う。 今までだってそうしてきたし、これからもそうやって生きていくのだろう。
『自分が不幸だとは思わない。自分は常に最善の選択をしたのだから、今よりも幸せにはなれなかったはず。過去のどこを探しても、間違いはなかった。どこへ戻っても、きっと同じ道を選ぶだろう』(森博嗣『月は幽咽のデバイス』)
これくらいに強く生きられればとね、思うのだよ。
(ところでこの引用元の本、この部分をたまたま立ち読みしただけで他は実は読んでいない)
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