組体操といえば思い出すことがある。
体が小さかったので、タワーもピラミッドも一番上になってしまった。 一番上をやるとなった後少しだけ太ったので配置を変えようもなかったとか、 逆に下になると体格に差がついていて上の人の足場が悪くなるので、 仕方がなかったと思いたい。
運動神経もなくて、運動会は楽しい思い出は少なかったように思う。 隊列を組めば一番前なので動き方は自分がしっかりしていないと怒られる。 (後ろの人は、前の人についてけばいいじゃん、て皆思ってたはず) かけっこは遅いし、踊りもどんくさくて、 修行にしても程があると当時から思っていた。
そんな中での組体操なので、練習がとにかくつらい。 ピラミッドは何とかなったが、タワーがとにかく立てない。 足場が斜めで皆体が動くので(下も重くて辛いので当たり前ですが) 体をまっすぐ立てることができない。 こればかりは運動神経がものを言う、と泣きそうになった。 「なんであのタワーは上が立てないの?」っていう声も聞こえてきた。 でも、本番前日に1回だけようやく一人で頂上に立つことができた。
本番当日、タワーの付き添いの先生が「危ないから上には立つな」と言ってくれた。 なので、他のタワーより段が少なかった。 私は一段下の人たちと一緒に立ち上がった。 肩を組んでいるので支えがあり、こんなこと言っては何だが楽だった。 下の人から「我慢しているのだから上で立ってほしい」と思われただろうし、 タワーがしょぼかったことに対して色々と言われたかもしれないが、 今はそのあたりの記憶は、都合のいいことにあまりない。
タワーの段が2段とは、当時の風潮からは考えられないが、 この判断を下した先生は本当に素晴らしい先生だったと思う。 誰もけがをすることなく、運動会を終えた記憶がある。
当時と今とは事情も違うだろうけど、本末転倒であってはならないと思う。
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