BUNの測定日記
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2004年07月02日(金) 今日は…

 (ありがたいことに、とっても忙しくて…かつ、気持ちに余裕もなく…、5月23日から実に1ヶ月以上見にも来れていなかった…。

  お久しぶりです、BUNめでございます。
  今、日記入力のパスワードが思い出せず、一瞬困りました。
  すぐ分かるところにメモっててよかった。。

  久しぶりに何日分か書こうかな…。
  なんかしばらく書いてないから、書き出したらとまらなさそう。
  色んなことあり過ぎて。


  ってか…あれっ…?
  このカウントの進み具合は…!?
  何かの間違い…か???)



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 今日は…うちの始めての末梢血幹細胞移植の患者さんが亡くなりました。

 口内炎で血まみれになった口から侵入したカビにしてやられました。
 真菌血症、真菌による肺炎。

 今回、移植には『うがい』が必要不可欠なんやってことが、皮肉にも証明されてしまいました。

 彼はうがい、歯磨き、お風呂、薬を飲む、など、感染予防がしっかりできない方でした。
 いくらうちとか看護師さんとかが説明しても、オーベンが説明しても、
 「吐きそうになるから無理。うがいなんかしてもせんでも、口内炎なるやつはなるし、ならへんやつはならへん。死ぬときは死ぬし、死なへんときは死なへん。そうやろ?なんとかしてくれるんやろ?俺はベッドにじっと寝てるだけや。」







 うちがこの病棟に来てから亡くなった方、4人目。
 受け持ちは3人目。






 3回とも挿管はなし。 








 ひとりめの方は、高齢の女性。

 悪性リンパ腫の細胞が全身のすみずみまで侵入して(病理解剖の結果)
「いたいーなんとかしてーどこもかしこもいたいーいたいーはやくなんとかしてー」って言っておられました。
 
 この方は、ご自分がターミナルであることをしっかりと理解し受け止めておられ、文書で「延命処置はやめていただきたい」という内容のことを残されていました。
 
 最期の時にはご家族も親戚ご一同も集まっておられて、見守られながら亡くなられましたし、かなしいけれど、違和感(?)はなく、お見送りさせていただきました。
 
 唯一感じた違和感みたいなもの、って言えば、ご家族は、彼女のベッドの周りで、うちは詰め所のモニター前で…みんな、彼女に、死んで欲しくない、って思ってるけど、確実に死は間近にどんどん迫っていて、それはみんな分かってて、死んで欲しくないけど、生きて欲しいけど、みんな、彼女が死んだ時用の準備をして集まっていて、「まだ生きてるな、まだ生きてるな、もうすぐかな、もうすぐかな、まだだな…」死んで欲しくない、生きて欲しい、けども、死ぬ瞬間を待ってる。
 そのなんともいえない感じ。







 ふたりめの方は、高齢の男性。

 骨髄異型性症候群からの白血病化で、最後の採血では末梢血の白血球のうち9割近くが癌細胞になってしまっていた、これまたターミナルの方でした。
 原因菌がつきとめられない肺炎でした。
 (血液内科での感染症は原因菌が突き止められないことはしばしばあります。)

 この方の場合、ご自分の骨髄異型性症候群が抑えられるレベルでないことは分かっておられましたが、肺炎に関しては、まだ治る気でおられたようでした。
 そして、もちろん、こちらも治ってもらいたいと、あらゆる手は尽くしていました、が、治療の効果は芳しくなく、どんどん進行する一方でした。
 「レントゲンが少し悪くなってるよ」とかはご本人にもちゃんと説明はしていましたが、2,3週間後、今の状態でおられるかどうか、保証できない。」といった説明はご家族にしかしていませんでした。
 最後の希望を失わせて、生きる気力がなくなってしまったら、本当に最期だ、という、奥さん、オーベンの思いもあって…。


 最期は急変。

 夜の回診時、
  「○○さん、今日からまたお薬変わりましたからね。○○さん?」
 「…ぐぅ…」 (反応はあるが、意識レベル低下。最期の数日は酸素が下がって意識レベルが不安定でした。)
  「はい…。では、おやすみなさいね。。」
 と言って出てきて、およそ30分後、代償的にあがっていた脈拍が急に60台に下がり、血圧も80の報告を受けた。

 じきに詰め所のモニターが脈拍50台を示した。
 病室へダッシュ…!

 …は、したけれど…

 でも、万が一の時には、『見守る』ということになっていて、枕をはずして顎を上げて、気道確保のみして、見守る。
 「○○さん!○○さん!」呼びかけるのみ…。
 
 脈、触れず。
 呼吸、無し。


 呼ぶ。
 呼ぶ。
 呼ぶ。

 ガックリしていた患者さんが大きく一息吸った。

 ぞっ…


 呼ぶ呼ぶ呼ぶ呼ぶ呼ぶ…!

 また大きく一息。


 たろう(愛犬)の最期と同じ呼吸…!!
 
 ま、医学的には吸気時停止性呼吸、とかなんとか言います。
 呼吸中枢の、最期の最期のあがき、でしょうか。

 
 数分後、オーベンによる死亡確認。


 奥さんが帰られてから、およそ10分後の急変でした。




 「『何もしない』っていうのは、アンビューバッグも揉まない、っていうことなんですか!?」
 本当にただ見てるだけの状態に憤りを感じて、思わず語気を荒げてオーベンに訊いた。

 せめて奥さんが戻ってこられるまで、ほんのちょっとでいいからこの命をもたせられたら…!
 ご本人のためにも、奥さんのためにも…!ってすごい思った。

 オーベンの答えは、すごい静かで、
 「バック揉んでも意味ないやろ?それに空気はほとんど胃に入ってな、後で空気抜くときに汚くなるからな。そういうことはしたくないねん。」
でした。
 
 それはそうやけど…!!
 それで何時間も何日も生きるとは思わないし、そんなことを期待してるわけでもない…けど…!

 汚くなることを心配してあげることと、最期にお互い一瞬でも認識させてあげられること…どっちが重い…?
 死んでしまう方からしたら…、最期に、家族からの声を、遠くにしか聞こえなくても、それでも訊きながら見守られて死ねる、けど、苦しい、のと、それはもういいから、そのまま死ねる、のと…。
 生き残る方からしたら…、最期、かけつけたときに、きれいな状態だけど、死んでしまっているのと、最期に一言でも生きている状態で声をかけられて手でも握って見送ってあげられる、けど、なんだかビジュアル的にえらいことになってるのと…。

 分からないね。
 答えなんかないね、きっと…。


 
 死亡確認してから、お迎えがくるまでの間に、オーベンが、お母様のお話をしてくれはりました。
 お母様は病院で亡くなられたそうなんやけど、最期、主治医がすごい色々してくれはったらしいけど、そのためにぐちゃぐちゃになって、がんばってくれてるのは分かるけど、そこまでしてくれなくていいな、って思って、「もういいよ先生」って言ったらしい。
 だから、そういうことはしたくないって…。
 なるほど…。

 そうね…。

 そっか…。


 でも、助けたい人が目の前で死にゆくのを何もせず見守ることが、こんなに…なんていうか、難しい?やるせない?くやしい?つらい?…なんかぴったりくることばが思いつかないけど、そうなんやって、はじめて知った。








 で、今日は30台の男性。

 M3で3回目のCR。
 今回は末梢血幹細胞移植目的で入院。
 憎まれ口なんかたたいたりして、ちょっと素直じゃないけど、一見、とっても元気な健康そのものに見える方でした。


    ・・・・・・・




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 …、あー…寝ないと…
 すっごい途中やけど、タイムリミットや…

 書きたいこといっぱいあるんや…
 亡くなってない人のことで、書きたいこともあるねん、いっぱい。
 先日はじめて患者さんにとっていいことしたなぁ、って思ったこととかもあったりして…。
 そんなことやら、いろんなことから得た教訓ってのも色々あって、そんなことも書きたい、とか、色々思うけど、時間がなかなかないや。
 疲れも少したまり気味やしなぁ。。

 またぼつぼつ書こう…。

 そうや、先日友人の結婚式で、久しぶりの友達にもいっぱい会えて、その時、ひとりの子が「日記続き書いてや。」って言ってくれてん。
 かなりうれしかったわぁ。
 ぁ、読んでくれてるんやぁ…てなぁ。
 ありがとう。
 ぼつぼつ書くわぁ。
 ぼつぼつ読んでいただけると、嬉しいです。

 おやすみなさい。
 みんなもゆっくりやすんで、また明日、ぼつぼつやろうか。 
 いい夢をね。



 あ、そうそう、そうこうしてる間に初ルンバール(腰椎穿刺)やらせてもらいました。
 レジデントの先生にコツを教えて頂いたこともあり、ビギナーズラックで一発成功
 ちなみに、硬膜貫通した感覚は…、全く分かりませんでした!!
 
 …骨髄穿刺のときと違って、次成功する気がイマイチしません…。
 初骨髄穿刺は失敗したけど、次はできるな、って思ったけどね…。

 むふん…


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