日日雑記
emi



 何かに毒づくというのは

その人が密かにかかえているコンプレックスそのものである場合が多い。
世間や身近では多種多様の物事が発生しているにも関わらず、敢えて着目し糾弾することこそすなわち、コンプレックスや恐れの裏返しなのである。

たいていの人間は些細なことでくよくよ悩み、自分より格下に思える他者を仮想設定して「アイツに比べりゃまだマシだ」と気を取り直し浮上する。
だから、たいていの人間が並べるごたくは、言う価値も聞く価値もない。


サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読むと、主人公ホールデンが読者の写し鏡に思えてしょうがない。
彼は弟と妹以外の人間を、冴えない、バカ、最低、田舎者、無教養、不潔、偽善者と罵倒し、否定しまくるのだ。

しかし同時に、理想の最低ボーダーもクリアできず全てから逃げる弱い自分を嫌悪している様子が、言葉の端々から透けて見える。
そんな自分を正当化するために、まわりを無神経のクズだと否定せざるを得ない。何故なら彼が最も恐れるのは、彼が見下す連中となんら変わらない「己の凡庸」を認めてしまうことだからだ。


「成功者であること」が人生の最大の意義と考えるアメリカで、そうはなれないだろう自分を予感するプレッシャーは想像を絶すると思う。それは、自分の立ち位置を上手く作れないと仲間から孤立してしまう、今の日本の子どもたちの閉塞感にも似ている。





2006年05月26日(金)
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