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■ GOTH――夜の種族たち
ちょっと長いけど、先日読んだ松岡正剛『ルナティックス』序章から引用です。
まあ、結論はこのエッセイ全体の中に散らすことにする。いまはとりあえず、もっと簡単にケリをつけておきたいとおもう。いったいぜんたい、太陽はみるからに野暮ではないか!私はそれだけを言っておきたい。 太陽というもの、それは活動をせきたて、いたずらに生産を奨励し、人々に頑丈な健康を押しつけ、法の裁きを決定づける。それに大きすぎるし、熱すぎる。イカロスは太陽をめざしたから翼が溶けたのだ。太陽はめざすべきものではなく、ただ君臨している者なのだ。 (中略) それにくらべ、月はなんともつつましく、なんと清冽で、なんとたよりないダンディズムに包まれていることか。なによりも太陽は熱源であり、月はただ反射をこころがけているだけなのである。これでは、どうみても月の懐かしさに分があると言うべきだ。
今日は、小谷真理の評論集『テクノゴシック』が届きました。これではっきりGOTH系と銘打った書籍は4冊になります。 前述のルナティックスは、GOTHの範疇に取り込まれるテイストと申せましょうか。個人的にはどちらも積極的にアクションを起こすのではなく、あくまでも間接的な衝動が根底にある、と思っています。 また、これはGOTH、これは違うと条件付けて分類するのはなかなか難しく、かなり感覚的になります。
ただ言えるのは、GOTHの世界を照らすのはあくまではかない月光であり、ビビッドよりディープを、開拓より受諾を、愛より宿命を、善より妖を常に求めようとするのです。
人は秘密をもったとき、それをできるだけ他人の目に触れない、闇の中に隠そうとします。一方で、闇を愛する者たちは、夜にだけ有効な灯火をかざし隠された秘密を探ります。GOTHとはこの「闇に隠されたものを密やかに暴く」行為そのものを指すように思えるのです。
自己の正当性を声高に叫ぶ鬱陶しい太陽が沈み、数々の神話をのせた月が漕ぎ出すとき、夜の種族がざわりと蠢き出す気配に粟肌が立つ――今宵も月はあなたの頭上にありますよ。
2005年09月16日(金)
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