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■ 私は『ヒカルの碁』と浦沢直樹が読めない
昨日購入したユリイカ(2002年7月号)における、大友克洋と対談中の高野文子の発言です。
「みんな面白いって言うのに自分は読めない。何故ダメなんだろう、特異体質かしら?」 「俺に訊かれても(笑)」 「絵のせいで読めないのだと思う」 「どっちもそれなりにいい絵じゃない」 「上手ですよね。でも息苦しくなる。次々と記号の問題が出て来て読むスピードまで決められてしまう」 「読者に世界に浸らせるという意味で優秀な作品だということでしょう。俺は上條敦士風のひたすら綺麗な絵がダメ」 「私もそうかも」
プロの人でも「読めないマンガ」ってゆーのがあるんだなあと、ちょっと感動(笑)したお話です。サンプルにヒカ碁(しかも作家名は記憶にないらしい;)が出てきたのもビックリでしたけど。他にも高野さんは 「顔が綺麗だと読者はそこばかりに注目してしまう。絵全体を見てもらうために、顔は目鼻がついてりゃいい程度に押えてます」 「ベタがあるとそこに目がいく。効果的にベタを使用して、視線を誘導する」 など、絵を描く人間にはドキッとする発言がありました。 お二人に共通だったのは 「長々同じ作品を描いてると、自分のルールに縛られるようで嫌気がさしてくる。同じ話で何十冊も量産とかよくできるよなあ」 ってとこ。これはアレですね、週刊少年誌の連載とかをさしてるんでしょうねえ。
大友さんには大長編『AKIRA』がありますが、それ以外は短中編がほとんど。高野さんに至っては「7年も間があいちゃって、マンガの描き方忘れてた」なんて言うほど寡作な作家だし。 それでも前述の「何十冊もあるマンガ」を凌駕するほどの内容とインパクトをもっています。
常々思うことですが、日本人は「いい作品は長く続けさせるべきだ」と勘違いしてるフシがあるみたい。連載が終わる、TV放映が終わる、たったそれだけのことで大騒ぎになるのを見る度、あーあとため息が出ます。
作った、終わった、さあ次!
潔さとテンポの良さが、人間元気の素だぞ。
2005年08月18日(木)
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