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■ だからどうした
蕎麦屋の出前の兄ちゃんがチャリ引っ掛けながら吹いてた口笛がアート・ブレイキーの「モーニン」だったとか、晩年のバド・パウエルは一文無しで秋吉敏子に1ドル貸してくれと言った等々――ジャズにまつわる「伝説」は多い。
中山康樹氏「超ジャズ入門」によると、バード(チャーリー・パーカー)やマイルス・デイビスのようなジャイアンツにまつわる伝説は枚挙にいとまがないらしい。 クラシック同様ジャズも聴こうとすると「まずはお勉強から」態勢になりがちだが、中山氏はジャズと一言で総括するにはこのジャンルは多岐に渡りすぎ、ジャズマニアによる神聖化といった狭量も状況を更にわかりにくくしている、と説く。その上で聴いているうち体系は自然と理解できるし、もちろん知らなくたってなんの不都合もないと言い切る。そんなのは単にマニアの自己満足に過ぎないと。
人は誰しも「自分は他人の知らないこんなことを知ってるぞ」と差異化を図ることで僅かな優越感にひたる。内容はなんだってかまわない。芸能人のスキャンダルでも、歴史的こぼれ話でも、それこそ2・3日早く週刊少年ジャンプを入手したぞでもいいのである。これが高じるとマニアに昇格する。
どの世界にも存在するマニアは、対象を盲目的に崇拝する自分を愛しく思っている。また完璧なマニアたるため、落穂拾いのような情報を得ようと無駄な努力を惜しまない。よそ者が崇拝対象をちょっとでもけなそうものなら、烈火の如く怒り反発する。なにしろ崇拝対象はマニア同士で築かれた巧妙な自己愛の投影であり、あきれるほど強く脆く守られているのだ。
何かにのめり込んでいる時は脳内麻薬のおかげで大変気持ちがいい。これが切れると苦痛なため、どんどん自分を追い込まなくてはならない。あるいは手っ取り早く次に乗り換える。ほとんど自転車操業だ。 先月末の突然最終回ドタバタに対するヒステリックな反応の多くは、マニア同士の意思確認と自己防衛のなせるわざのように思えてならなかった。 よそから見れば「バカじゃねーの」の一言だが、渦中のバカどもは客観的な自己判断がつかない。それがマニアのマニアたる所以である。
たまには「今、何にも面白いことありません」状態だっていいじゃない。余分なアドレナリン抜いて次の仕込みに備えるの。あさましい人間は見苦しい。自戒も込めてもう一度、己の立場をわきまえたい。
2003年05月13日(火)
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