岸和田で大きな事件があった。去年、研修に行った中学校で、学校自体大変なところだったのを覚えている。 実際、表に出ないだけで学校は大きな問題をいくつも抱えている。一般的に「弱者」とされる生徒(=子ども)が危機的状況に陥ってはじめてそれは表に出ることになる。いくら「強者」とされる教師が同じ状況に陥ってもそれは認められない。どこか理不尽な気がする。もちろん子どもは守られるべきだ。でも、教師や親も人間として生きる権利はあるのではないか。マスコミや一般人は「子どものすることだから」と真実を見ようとせず、また「子どもが変わった」と目新しい発見をしたらそれで解決したかのように満足してしまう。教育とは教師だけで行うべきものなのか。そもそも被教育者は子どもだけか。教師も親も教育を受けるべき、また学習すべきではないだろうか。 大学で学んだ「生涯学習」という言葉。一般的な事例となりつつあるかと思えば、そうでもないことに気付く。言いたくはないが、生活が苦しい家庭ではそれどころではないと思われる。生活に余裕のある家庭は学習を重ね、その結果良い循環を続けることとなる。が、しかし反対の例もある。特にうちの市はそういった地域が多いため、言葉は悪いが悪循環が非常に目立つ。「この親にしてこの子あり」。ピエール・ブルデューが唱えた文化的再生産論を目の当たりにしている。他人事のようだが、今後の日本が恐ろしい。
|