至極当然のことであるが、大学は義務教育ではない。ということは、大学でしか果たし得ない何らかの目的を持って通っている者が多いはずだ。私も国語教員になるという目的でこの大学に入学した。あれから四年を経て無事卒業することとなった今、振り返ってみると「光陰矢のごとし」とはよく言ったもので、まさに矢が飛ぶように過ぎ去ってしまったことを実感する。 さて、その四年間の大学生活のうち教員免許取得に費やした時間はというと、非常に少ないものであったと思う。教職科目の講義に出席し、決められた課題をこなすだけで免許は与えられる。その講義時間は四年間のうちでは微々たるものであろう。しかし、教員になるという目的を達成するために費やした時間は、その四年間全てと言ってもいいのかもしれない。教員に限らずどの職に就くにしても、大学生活をいかに過ごしたかが重要であると思う。私は特別な生活をしていたわけではない。学校に行って、友人と遊んで、アルバイトをして、サークルに参加して、とごく普通の大学生であった。ただ、常に「学ぼう」という意識を持っていた。無意識あるいは無意味に時間を過ごしてばかりいては、人間は成長しないだろう。教員になるためには、というよりはむしろ社会に出るためには、視野を広げ、できるだけのことを学び吸収しなければならない。もちろん四六時中そんなことを考えながら生きているのでは息が詰まってしまう。だから時折立ち止まって考えるだけでいい。自分がしたこと、他人が言ったこと、ニュースで見たことなど、自分が経験してきたことを省みてそこから学ぶのだ。単に学科の専門知識だけではなく、人間関係や学校とは違う社会に存在するルールなど学ぶべきものは周りに溢れていた。間違いなく多くの人が無意識のうちにやっていることだ。それを意識的に行うことで、さらに多くのことを学べるのではないだろうか。 最近、大学生の質が低下していると言われる。夜中に騒いだり、社会のマナーを無視したりと、テレビで何度も取り上げられているので目にした人もいるだろう。そうでない学生もいるのだが、「モラトリアム」という響きのよい言葉に胡座をかいている学生がいるのも事実だ。せっかく与えられた四年間を無駄にすることはない。常に「学ぶ」という意識を高く持ち、社会で生きる力を養うとともに、この大学に入学した目的の達成に勤しんで欲しい。できればその過程が楽しく、そしてかけがえのないものであることを願うばかりである。これを読まれた諸氏が笑顔で卒業できることを祈って、私の「就職と学生生活」体験記とさせていただく。
ええ、来年の就職ニュース用の原稿です。何偉そうに書いてんだかって感じです。でも意識の差はでかいと思いますよ。それは自信を持って言えますし、中学生にもまず知ってほしいことですね。特にサッカーで感じますけど、プレー一つとっても意識の差は出てきます。きっと小さい頃からいつも高い意識で練習してきたヤツが上に行けるんでしょうしね。大学生活残り少ないっすけど、高い意識を持って濃密な時間を過ごせたらいいな、と思います。
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