ジョンの日記

2002年09月11日(水) 生きるものとして

11.Sep.2001.AM8:46(U.S.A.)

 日本時間で午後9時半過ぎ。私は風呂から上がり、インターネットに接続しました。濡れた髪が乾くのを待つ間、TVのニュース番組を見ながらネットサーフィンをするのが日課になっていました。
 いつもどおりYahoo!のトピックスをチェックして大したニュースがないのを確認し、友人のHPを回りに行ったのです。
 ふとTVの画面に目をやると、ビルが燃えていました。映画を見る気はなかったのでチャンネルを替えると、どこの局も同じ映像を流していました。ビルに飛行機が突っ込む映像を。何度も、何度も。
 アメリカ同時多発テロ。その後、こう名づけられた事件の映像でした。私はTVのヴォリュームを上げ、Yahoo!に戻りました。そのときネット上は混乱していました。最先端の情報通信機器の宿命なのか、あらゆる情報が錯綜していました。事故、テロ、戦争・・・。
 すぐに家族に電話しました。母も妹も寝る準備をしていたらしく、そのニュースに驚いていました。家族との電話でお互いが無言になったのはあのときが初めてです。父にも連絡するよう言って電話を切りました。
 続いてそのとき付き合っていた彼女に電話しました。反応は家族と同じでした。電話を切り、TVに向き直りました。
 その後も事態は時間が経つごとに悲惨なものになっていきました。もう死者の数とか、負傷者の数とか、誰がやったのかとか、そんなことに興味はありませんでした。いえ、そんなことは考えられなかったのです。たぶん茫然自失というのはああいった状態なんだろうなと思います。
 次の日から世界は動きました。社会も経済も。何もかもが。
 
 その中で印象に残ったのは日本のワイドショーでした。
「・・・歌手の○×さんは無事だということです・・・」
「・・・アーティストの△◎さんから連絡がありました・・・」
伝えられるのは芸能人の安否が先。一般人は後。仕方がないことなのかもしれません。芸能人の方々も無事で何よりです。ただ、人間が格付けされているみたいでした。何て言ったらいいのか分かりません。
 解散してしまったTHE YELLOW MONKEYというグループの『JAM』という歌の歌詞にこんなフレーズがあります。

    外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
   「乗客に日本人はいませんでした」
   「いませんでした」「いませんでした」
   僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう

 ぐるぐるとこのフレーズだけが頭の中にありました。
私は何も思えなかった。そのワイドショーが悪いとも思えない。だけどカラダの中に気持ちの悪いものがたまっている、そんな感じがしました。

 あれから1年。アフガニスタンで多くの人が亡くなりました。アメリカ軍の空爆によって。
「報復」という言葉が使われました。テロを行ったものに対する「報復」という名の攻撃。その対象となってしまったのはアフガンに住んでいた一般市民でした。女性や子どもが多く死にました。結婚式場も爆撃されました。アメリカはそれを「誤爆」という一言、たった一言で済ませました。ラムズフェルド国防長官は「残念だが、仕方がない」とTVで言いました。誤爆の被害者にはアフガニスタンの一般的な労働者の給料の17分の1にあたる金額が支払われました。日本円にして約180円です。
 この事件は表裏において複雑な事情が絡み合っていて一概にどちらが悪とは決められないのかのしれません。ただ、どちらも加害者なのではなくどちらも被害者なのです。

 多くの人が亡くなりました。大人も、子どもも、女性も、男性も、白人も、黒人も、黄色人も。
 彼ら彼女ら1人ひとりがそれぞれの思いを抱いてこの世を去りました。
新しい命をその体に宿していた彼女は
いったいどんな思いで飛行機に乗っていたのでしょうか。
守るべき家族に電話をかけていた彼は
どんな気持ちで電話を置きテロリストに立ち向かったのでしょうか。
明日の生活に困っていた彼女は
爆撃されながら安らかに逝けたでしょうか。
愛する人と新しい生活をはじめることを誓った彼は
何を思いながら目を閉じたのでしょうか。

「ビンラディン万歳!」「アメリカ滅びろ!」
「残念だが仕方がない」「このテロリスト達を私は許さない」
今生きているものたちが考えるべきことはそんなことなのでしょうか。

人の命は、
そこに生きる植物や動物の命は、
地球と人間が作り出した物は、
そんなにも価値がないものなのでしょうか。
簡単に壊してしまって良いのでしょうか。

失われたものに対して流す涙は、紡ぐ言葉は、はせる想いは、
意味のないものなのでしょうか。

あれだけの人が望みも予想もしない死を受け入れたという事実がありながらも、
まだ攻撃の刃をおさめない人間がいます。
たぶん私が無関係の人間だから言える言葉なのでしょうが、それでも
「マダ、コロシタリナイノカ?」
と考えます。

今なお多くの人がこの世界に生きています。
あの事件に深く関わった人も、TVで見ただけの人も、あるいは全く知らない人も。
それぞれにいろいろな状況下でいろいろなことを考えながら生きています。
中には明日死んでしまう人もいます。
でも多くの人が明日も自分が存在していることを当たり前だと思い生きています。
それはとても価値あることだと思います。
生きることを当然として、生きる。
失われてはならないものではないでしょうか。

1年前の今日、流された涙の量はどれほどのものだったのでしょうか。
私もTVを見ながら泣きました。
別に知り合いがいたわけではありません。
それほど思い入れがある国でも、人でも、場所でも、ありません。
ただ、その事実に。
この世界から多くのものが失われたという事実に。
涙が流れました。

今日、ビルの中の映像が初めてTVで放送されました。
また涙が流れました。

あの時、このカメラの向こうで、私の脳では想像し得ないことが起こっていたこと。
あの事件を乗り越えて今を生きる人がいること。
国同士の争いに巻きこまれた罪なき一般市民がいること。
何も知らずに幸せな眠りについている人がいること。
ナンパしている人がいること。
路上で音楽を奏でている人がいること。
病気で苦しんでいる人がいること。
夏が終わり死んでいく生物がいること。
植物の色が変わること。
どこかで地球が壊されていること。
どこかで地球が癒されていること。
何かに祈りをささげる人がいること。
建物が建っていること。
道があること。
笑っている人がいること。
怒っている人がいること。
悲しんでいる人がいること。
今また何かが失われること。
それでもなお何かが生まれること。
そして、ここに自分がいること。

そのすべてを思い涙が流れました。
同時に涙を流せたことを嬉しく思いました。
ああ、自分は想うことができる、と。
私は教師になります。
生きてきた時間よりも生きる時間のほうが数倍長い子どもとふれあいます。
そのときにせめて「泣くこと」のすばらしさ、ありがたさを伝えたい。
感情をもつことが、想うことがカタチとなって表出する「泣くこと」。
生きるうえで涙を流すことができる人間を育てたい。
それがあの事件から1年を経た今日、自分が考えたことです。

望まぬ死を選ばざるをえなかったすべての人のご冥福をお祈りします。
もし天国があるのなら、どうかそこで幸せな想いを抱いておられますように。




矛盾の上に咲く花は 根っこの奥から抜きましょう
同じ過ち繰り返さぬように 根っこの奥から抜きましょう

そして新しい種まこう 誰もが忘れてた種まこう
そしたら野良犬も殺されない 自殺するまで追いつめられない
どこの国もやさしさで溢れ 戦争の二文字は消えてゆく
そして振り出しに戻し 今 素敵な世の中をつくろうか

                MONGOL800『矛盾の上に咲く花』より
              
 11.Sep.2002.AM1:02(Japan)
                                 自宅にて
                                  ジョン


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