昨日宮本征勝氏が亡くなった。63歳だった。氏は最近のサッカーファンの中ではあまり知られていないだろう。1993年にJリーグが開幕した当時、鹿島アントラーズの初代監督として就任。決して前評判の高いチームではなかった。しかし、鹿島アントラーズをJリーグ開幕後初の優勝に導いたのは間違いなく彼の功績であろう。 当時、まだサッカーに詳しくない記者ばかりなのに対して、サッカーについて親切に優しく説明したという話がある。勝つたびに何かとジーコばかりが注目されても「彼のおかげだ」と縁の下の力持ち役に徹したという話もある。 今や鹿島アントラーズは押しも押されぬJリーグの名門チームにまで成長した。ここにいたるまで、ジーコ、レオナルド、ジョルジーニョ、ビスマルクら数多くのブラジル人選手がチームを支えてきたが、それと同時に本田、長谷川、秋田といった故・宮本氏が育て上げた選手の存在も大きいものであったに違いない。 63歳。現代では早逝と言われるだろう。まだ日本のサッカー界には、厳しさと優しさを兼ね備えた一流指導者にして一流サッカー人の氏が必要であったと思う。しかし彼の遺志は選手やサポーター、そしてチームそのものを通じて今後も生きていくだろう。 私が本格的にサッカーを始めて3年後に開幕したJリーグ。当時参加していた10チームの中でも、氏が率いた鹿島アントラーズは輝く存在であった。派手さも地味さも、クリーンなプレイもハードなプレイも、あらゆるカラーを持っていた。 Jリーグも、各チームもこの約10年でずいぶん様変わりした。しかし鹿島が持つイメージは変わらない。これからも鹿島アントラーズがすばらしいチームであることを願うとともに、宮本氏のご冥福をお祈りしたい。
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