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■ ぶらっと父娘
外出しようかと支度していたところに電話が鳴った。 片手に荷物を持ったまま。受話器を掴む。
「やぁ。今、乃木坂。夕方の新幹線で帰る。時間があるなら出てこないか?」
ぼそぼそと喋るその声の主は、まぎれもなく私の父親で、その突飛な行動ぶりも まさしく私の父親だった。聞くと、三日前から仕事で上京していたらしい。 なんでもっと早く連絡をくれないかなぁ、と嘆くと、「えへへ、時間が空いたから」 と悪びれもなく答える。私は午後の予定を変更して、東京駅へ向かう。
父は私と同業者で(私はまだまだひよっこですが)、年に二度ほど上京する。 数字や機械に弱い私には、彼のやっていることが未だちんぷんかんぷんの ブラックボックス的神秘さを持っているが、同じ道を志した者として、何かと 深い理解を示してくれる。口数は少ないし、気の利いた文句も言えないけれど、 強い信念を持った人。私は父に誘われ、突然のデイトをするのが好きだ。
銀座をぶらぶら散歩し、喫茶店でお茶を飲み、皇居の周囲をまた歩く。 本当は東京国際フォーラムでやっている、「人体の不思議博」を見たかったのだが、 中庭をぐるっと取り囲む長蛇の列に、ふたりとも心底ひるみ、そのまま歩き通した。 丸ビル35Fの展望フロアにのぼり、東京湾やら国会議事堂やら東京タワーやらを 眺める。私は高いところが好きなので、春はふたりで六本木ヒルズにのぼった。
父は、東京に住んだことはないくせに、東京の地理を私より熟知していて、時々 とても驚かされる。地下鉄の乗り換えだって、どこの車両に乗れば乗り継ぎが良い か知っていて、扉が開くと「こっち」と指さし、すたすた歩いて導いてくれる。 「なんでそんなに知っているの?」と訊くと、嬉しそうに鞄から、メトロ新聞やら 無料で配布されている地図なんかを取り出す。「暇なときに見ているんだよ」と。
夕方、東京駅のコーヒースタンドで最後の珈琲をのむ。 「今度来るときは、ちゃんと事前に連絡ちょうだいよ」と念を押す。 父はにたにたわらって「えへへへ」と答える。風の又三郎みたいな父。 改札に出てからも、何度も振り返って小さく手を振る父の背中は、覚えていた 背中より小さくて、私は彼が見えなくなるまで、ずっと後ろ姿を見送っていた。
2004年01月30日(金)
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