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■ 感応する人々
さっき入浴中に『コンセント』完読。
私の読書時間は、帰りの電車の中と入浴中のみ。 朝の電車はもっぱら、不足した睡眠を補うためにあてられる。 昨日の帰りに読み始めたから、二日間、トータル時間にして3時間弱くらいだろう。 文章をいちいち最初から最後まで舐めるように読むと時間がかかるので、 漢字を拾っていくのが私の速読術だ。
最初は「狙っている」書き口に少し抵抗を感じていたが、 そのうちするすると言葉が私の中に入ってきた。
すっかり忘れていたことだが、「コンセント」という単語で私は「プラグ」を イメージしていた。そう、コンセントは壁にあるプラグの差し込み口のことだ。 電力供給するための出口、そして入り口。私たちの記憶は、世界のどこかにある ホストにデータとして蓄積されていて、人は無意識のうちにそこにアクセスして、 データを言語化、視覚化、音声化しているのではないか、という問いかけがあった。
つまり集合的な記憶によって、人々は生きているということ。 (だと理解したのだけれど)
だから誰かが誰かに「感応する」のは、とても自然であり重要なことなのだ。 感応しすぎて、自己の境界線が崩れるのも問題だけれど、頑なに自我を 閉じこめるのも危険。すべてがガヤガヤと騒々しい世の中で、感応する対象に チャンネリングするのは難しい。
いづれにせよ、生きにくい世の中なのかもしれない。
2001年02月21日(水)
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