ムッキーの初老日記
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2004年08月04日(水) 月傾きぬ。


高校時代の恩師が亡くなった。
この日の日記に書いた、関先生。

毎年くださる年賀状のお返事が、今年は届かず
どうしたのかな?と思っていた一月中旬に寒中見舞いとして返事が来た。

「年末から体調を崩し入院してました。
 老人病です!ほんとにいやですね。
 お互い気をつけましょう。でももう大丈夫です。」

と書いてあり、とても心配になった。手紙を書こうかと思った。
だが、それに対してまた返事を出すのが先生の負担になりはしないかとか
もう大丈夫とあるのだからきっと全快なさったのだろうとか
そう考えて、暑中見舞いで尋ねてみよう、と思ってしまった。

そして先日、関先生に暑中見舞いを書いた。
「その後体調はいかがですか?あまりご無理をなさらぬよう。
なにせお互いもう初老なんですから!」
と、冗談めかして書いた。


その返事が、メールで届いた。
関先生の奥様から。

私は嫌な予感で胸がムカムカした。
開かなくても、内容が見えるような気がした。

そのメールには、関先生が1月中旬に亡くなったと書いてあった。

体が震えた。
先生が・・・もう半年以上前に他界なさっていた。
亡くなった日は、寒中見舞いが届いた日の、わずか4日後。

私は夢中で今年の年賀状の束を押入れから引っ張り出し
関先生から頂いた葉書を探した。


改めて見直すと、その葉書の文字は
いつもの先生の美しい文字とは微妙に違っている。
大きい字があり、小さい字があり、文字や行間にまとまりがない。
そして、最後の一言「もう大丈夫です。」の文字はひときわ小さく
全部書き終えてから、空いたスペースに無理やり書いたように見える。

それに気づいた時、私はその場に突っ伏して泣いた。

関先生。関先生ごめんなさい。

どうして気づかなかったんだろう。
全部書き終え、これでは心配をかけてしまうと
後から付け足した「もう大丈夫です」の言葉に。
教え子を気遣う、関先生の思いやりに。どうして私は気づかなかったんだろう。

あの時、すぐお見舞いの手紙を書いていたら
もしかしたら、最後に先生に読んでいただけたかも知れないのに。
まだ間に合ったかもしれないのに。

私はすぐに行動を起こさなかったことを激しく悔いた。

心配だったら、今、出せばいい。
会いたいと思ったら、会おうと言えばいい。
どうしてるのかな?と思ったら電話をかければいい。

いつでも会える、いつでも話せる時代は、もう過ぎ去ったのだ。
躊躇している暇なんか、ありはしないのだ。
私はそれに気づかなかった。
もう初老さと嘯きながら、本当にはわかっていなかった。

シャイなんてくそくらえだ。

こんな後悔はもうしたくない。


先生は亡くなってなお、また私に大切な事を教えてくださった。






ムッキー
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