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【沙亜子はいまだ、水の中】





◆ 子供心が疼いてる。





今は週に二カ所の病院に通っている




家から一時間半かかるとこなので
電車の中ではネットをすることが多い






ツイッターで炎上を繰り返す子役タレントのHちゃんのまとめサイトを見た
正直、この子の痛々しさは目を背けたくなる感じで
彼女のツイッターはのぞいたことはなかった
じっくり見たそれはあっけにとられるモノだった
とりまく熱狂的なファンの行き過ぎた発言、行為に嫌悪感を感じた




映画監督と称するF氏が
彼女は大人に搾取されてて可哀想な子供と言ってたが
まったくその通りだと感じたが
反発する意見が多いことに違和感を感じた
反発する人たちの反発具合に偏りを感じた




F氏は明らかに彼女を擁護しただけな気がしたが
彼の活動に引っかかりがあったからだろうか?




ツイッターをする人たちは
ツイッターをよりどころに生きてる
支えにしている
その彩りを、輝きを与えてくれるHちゃんの存在が不可欠になっているのだろうか
傍目で第三者の視線では恐い現象に感じる






大人の理想、願望に沿って生きる子供の将来は哀れだ




まだ間に合う




無邪気な素直さは
同世代の中で培われるもので
大人の前に示すものではないだろうに




顔の見えない人と交流するより
顔の見える同世代との交流がないと
大人になってからの虚しさが増すだけだ




私のように






子供の頃から大人に誉められ続けても
本当の友達は作れなかった
頭が回るゆえに他者への観察、分析、不信感が先回って
誰とも信頼関係を結べない悲しい存在




私の親は子供に正しく賢く
皆から信頼される人間になることを望んだ




姉妹の中で
私だけが過剰に両親の、大人の期待に応えすぎた
信頼は得た





愛情はとうとう感じることが出来ぬまま
くだらぬ今に至る




友達に悩みを打ち明けたくって言われた言葉
「アンタに悩みがあるわけないじゃん」
吐き捨てるように言われ
線を引かれ
それから死を意識するようになった
あれからその感情とのせめぎ合いを続けている





私は走ること、レースを止めたいのに止められないのも
レース上位者というレッテルがなくなれば
誰からも気にとめてもらえない事実から動けないからだ




優秀でない私には
愛される理由がない




いや

誰かを愛そうとしないからだと
わかってはいるんだ
自分の世界には
自分しか存在することを許さないからこんなことになるんだって








「頑張って」




言われて心に眉間の皺が寄る
頑張る選択しか許さない現状




レースを途中棄権しても
幸せそうに微笑む人がいる
それを見て喜んでくれる友達がいる
ねぎらってくれる仲間がいる




それを見て
死にたくなる私




寄り添ってくれる人がいる人がうらやましい




もうやだ
消えたいよ






子供が泣いてるのに
「頑張って!」はないだろうと思う。






私も子供時代に
F氏のような大人に守ってもらいたかった




ふと未だに淋しい子供心が疼いてる












2013年03月23日(土)






   


   

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