雑記帳

2006年10月13日(金) ほんとうの親子

1958年に発生した、新生児取り違え訴訟の判決とその報道で、一部嫌悪に近い違和感を覚えて仕方ない下りがありました。

「取り違えにより真の親や子と家庭生活を過ごすことができず、産院の重大な過失で人生を狂わされた」(asahi.comより)

真の親子って、一体何でしょう? 狂った? 何が?
血肉を分けているのが真で正で他は義、と言うのはいい加減やめて欲しです。
50年弱、親子をやってきたのだから原告のご家族は紛れも無く親子だったと思います。なのにその50年弱の時間がまがい物で不幸だったと、何故裁判所は言うのだろう?
「本当の親と暮らせなかった精神的損害
……損害ぃ……??
血肉を分けてても不幸なケースはいくらでもある。
取り違えが無かったら、血肉を分けた親子での家庭があった。別の道があった。ただそれだけの事なのに、なんで「正」と「誤」と決めるのだろう?
親子というのは、何をもって親子となるのか。
遺伝情報をもたらした者が親なのか。
血が繋がっていなくても、
互いに親子として愛情を注ぎ、
深く結びついた関係は何なのか。
(NNNニュースリアルタイム 「STAFF NOTE」より)

裁判所も報道も、ご本人の
「自分にとっての親は今までもこれからも、育ててくれた父と母。それでも、生んでくれた母と父と話をしてみたい」(asahi.comより)

と言う思いをもっと酌んで欲しいです。


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